実は33年間東京でサラリーマンをしていたという櫻木さん。自分の意志でギブアップするまで働ける仕事に就きたいと思うようになり、55歳で帰郷。縁あって館長に。
福岡市内から朝倉まで車で1時間弱、高速道路を降りると広い青空の奥には山々のきれいな緑が出迎える。昨年7月に起きた九州北部豪雨災害から道路こそきれいに整備されたものの、所々よく見ると民家の壁がむき出しになっていたり、庭には流木が寄せられていたり。何度もすれ違う災害復旧のトラックの多さに、復旧作業は未だ続いていることが伺えた。
櫻木さんは、当時のことをこう振り返る。「梨や桃などの果物がまもなく出荷の時期でした。前の日が台風で被害がなく良かったと安心していた直後の災害で、ここ直売所も2ヶ月程は営業を停止せざるを得ない状態でした」。しかし実際に営業を再開したのは被災して20日後。再開に至るまでは測り知れない苦労と困難があったことだろう
4月に11周年を迎えた三連水車の里あさくら。福岡市の日本赤十字病院では第2・第4木曜日、その他各所で定期的な外部販売も行っている。
多くの家や農地が流された中でも、被害が少なかった農家では直売所がないことで順調に育った農作物の売り場所に困ってしまう。そこで直売所は建物の復旧作業の傍ら、それまでもやっていた外部販売を再開。「売り物を集めるためにも、まずは直売所に車が入って来れる導線を作ることが第一でした。通常だったら重機がいくつあっても足りないところを多くのボランティアの方が手伝ってくれ、ずっと付き合いのあった星野村の人たちも山を越え、重機を持って駆けつけてくれたんです」。八女市星野村もその5年前に被災し、今も復旧作業が続いている。まさに人のあたたかさを感じたと言う。
夏になるこれからは葡萄や桃、梨、秋には柿など色々な果物が出荷予定。
「水害後、朝倉に足を向けるお客様は相当減るだろうと思っていました。その心配をよそに足を運んで来てくれた多くのお客様の言葉が励みになったんです。『私は歳がいっているから炎天下のボランティア活動はできないけれども、こうやって朝倉の農作物を買うことで支援しますよ』って。ボランティアに来ていただくだけじゃなく、買ってくれる人がいることも農家の人がもう一回頑張ってものを作ろうっていう活力になるんですよ」。
災害にあっても強く大らかに直売所を引っ張る櫻木さん。「復旧作業はまだまだ続きますが、朝倉の産物を売ることで、地域が常に元気を出して生活できるような体制を作っておくことが役目かなと思います」。櫻木館長、そして朝倉の人たちは今日も元気に前を向く─。