「コミてん」ラジオのパーソナリティとして「青春グラフィティ」(水曜13:00~13:35)と「ミュージックトーク~私の声が聴こえますか。~」(金曜16:00~16:55)に出演中。
先月から連載コラム「今月のシネマ」の新たな書き手として当誌面に加わった佐久間みな子さん。現在フリーアナウンサーとして多方面に活躍する彼女の人柄に迫った。
「もともと父には“弁護士”になれと言われていたんです。同じ“ホウソウ界”でも“法曹界”。だけど基本的に話すことが嫌いじゃなかったからか、大学で入った放送研究部が進路を決めるきっかけに」。当時“女子大生亡国論”という言葉がメディアを賑わせ、四大女子学生は就職難。それでも無事、放送局に入社した佐久間さんはアナウンサーを経験した後、ラジオディレクターやイベントプロデューサーの道へ。「職種の転向は自分の意志です。当時はマスコミとはいえ、まだまだ男性社会。女性は男性アナウンサーをいかに引き立てるかという刺身のつま。これに我慢できなくなって“もう年だね”と言われる前に、別のセクションに行きたいと思ったのが一つの理由です。また、アナウンサーがステージに立つ前の底辺には企画・構成など色々な人が絡んでいる。それを見て、演じる側よりも演じさせる側の方が面白いのでは、と思って」。しかし現実はそう甘くない。「アナウンサーとして大事にされていた頃とは違い、周囲の風当たりは強かったですね。それまで知っているつもりだったことも、実際、番組を作れってなったとき一から十まで何もわからない。聞いても相手にされないっていうのが一年続きました」。その後ようやくイロハを教えてもらったときは目から鱗なことだらけだったとか。「アナウンサーは割と自己完結することが多かったのですが、ディレクターやプロデューサーはまさに和をもって貴し。もう真逆の仕事です。仕事が変わると、大げさに言えば人生の価値観がガラッと変わる。自分の幅が大きく広がりました」。それまで女子アナといえば5~6年で寿退社する人が多数。それが佐久間さんの時代以降、ようやく定年まで勤めようとする女性が増えていったそう。「苦しい期間もありましたが、その経験があったからこそ今があると思っています。先駆けってそういうものじゃない?団塊世代は“初めて”をいっぱい経験していますよ」と微笑む。
ももちパレスカルチャセンターにて「明るく楽しい会話塾」の講師も務める。
佐久間さんの挑戦は定年退職した後も終わらない。現在はフリーアナウンサーとして活躍する一方、会話塾の講師を務め、ぐらんざのコラムにまで登場することに。「映画の紹介ページでは、作品を通して多くの人の人生観を体感していただきたいと思います」と様々な経験をしてきた佐久間さんらしい意気込み。 挑戦したいことはまだたくさん。ぐらんざでの執筆とともに、今後の彼女の動向が楽しみだ。