芸能界に入って62年。現在は本やコラムの執筆の他、ラジオ、舞台、講演を中心に活動中。好きな時間は「人と会って話しているとき」。
新緑の5月、傘寿を迎えたばかりのなべおさみさんだが、その若々しい姿に驚く人は多いだろう。明治大学演劇科に入学した18歳、ラジオ台本などの執筆から始まり、水原弘や勝新太郎などの付き人時代を経てテレビデビュー。映画でも山田洋次監督作品で主演を果たすなど芸能界に長く濃く携わるなべさんの人柄に迫った。
「僕が子どものときに受けたカルチャーショックは映画でした。戦後の復興時、観る人にとって映画がどれほど和みになっていたことか。その娯楽を提供する世界に行きたいと思ったのが小学校5年生のときです。中学生では真実と嘘っぱちを織り交ぜた『冗談新聞』なんていうのを自分で作って校門で配ったりもしていました」。執筆活動のきっかけとなったのは、日本の放送芸能史を支えた三木鶏郎さんの門下生になったこと。そこには、まだ若き日の五木寛之さんや永六輔さんなどの姿もあったそう。「僕は東京にいながら役者になるべく大学一年生のときに家を飛び出したんです。学費から家賃、生活費まですべてを自分で賄っていたので何事も我慢の日々。無駄なお金は使えないので1~2時間かけてでも徒歩で出かけていましたよ」。毎日が必死だったなべさんは大学4年分の単位を2年生までに取り終え、残りの2年間は芸能活動に従事する。
付き人時代は多くの大御所たる先輩芸能人に可愛がってもらうため、心していたことを教えてくれた。「それは、滅私奉公の精神です。自分を滅して人に尽くすということ。今話題になっている“忖度”という言葉も、本来の意味は相手を慮って尽くしてあげること。ただし自分の主人に尽くすだけでなく、誰にでも陰日向なくできないといけない。損得など考えず、ごく当たり前に行動できるようになると、自然と後で良い事がついてくるものですよ」と穏やかに語る。
驚いたことに、なべさんは未だ義歯一本もなければ白髪もわずかしかない。その秘訣とは?「僕は昔から80歳になるときは、肉体、頭脳含め芸能界一若い80歳でいようと考えていたんです。そのためには、体に我慢を教えることが一番。食べ過ぎない。酒を飲まない。煙草を吸わない。そういうことを長年体に躾ないと若さを保っていけないですね。鰯や秋刀魚といった魚は頭からガリガリ噛んで食べますよ」。なべさんの、人を相手とする芸能人生の裏には己を律する確固たる精神が支えているのだろう。
若かりし頃のなべさんと、彼を支え続けた妻であり女優の笹るみ子さん。今年発売した著書『昭和疾風録』の中には、なべさんの若かりし頃の話も出てくるかも!?