目の前に広がる白銀の世界に身を震わせ、その男の口から嘆きの言葉がこぼれ落ちました。「あの山の向こうに壁がある。その壁には『ここで行き止まり』と書いてあるんだ。この世に地の果てというものは無いと思っていたけれど、俺はあると信じるよ」。男の名はフェルナンド・エンリケ・マリアーノ。創成期のアビスパ福岡を攻守に支えたミッドフィルダーです。

1998年から2年間、アビスパ福岡を攻守にけん引したフェルナンド(左)。右は山下芳輝。
行く先はJ1か、はたまたJ2か。1998年冬、Jリーグは翌年からの2部制導入に向けて、直近2年間の順位で下位の4クラブに「J1参入決定戦」という変則トーナメントを課しました。市原、札幌、神戸、そして最下位の福岡です。ここに新規参入を狙う川崎を加えた計5クラブで奪い合う〝J1切符〟は3枚。福岡は初戦で川崎に辛勝したものの、続く市原戦に完敗し、最後の1枚を巡って札幌と戦いました。その最終決戦の地は、12月の北海道・室蘭でした。
道内では雪が少ないと、勝負の舞台に選ばれた室蘭が、街の真ん中まで真っ白です。「地の果て」とは北海道ならびに室蘭の関係各位に少々失礼でしょうが、なにしろ彼はブラジルの生まれ育ち。来日するまで母国外での所属経験もありません。人生初の極寒体験。雪を目にするのも初めてだったのです。
試合当日も、日中の最高気温は3度。ピッチに積雪こそないものの、港に隣接する競技場は強風に見舞われ、ときおり雪が真横に降りました。屋外記者席で急場しのぎの使い捨てカイロなど、これっぽっちも役に立ちません。われわれ九州人もブラジル人に負けず劣らず、試合前から嘆きと悲鳴の連発です。
ところが…。そこに驚きの光景が目に飛び込んできました。審判も含めた全員が膝下まであるグラウンドコートに身を包んで入場してくる中、彼だけがコートを羽織らずに姿を現したのです。試合でも躍動しました。0―0で迎えた後半に先制の起点となるシュートを放ち、その後も勝利を決定づけるゴール。福岡は3―0で完勝し、最後の1枚をつかみ取りました。
振り返れば、初戦の川崎戦で延長Vゴールを決めたのもこの男。もっとも、当の救世主は念願の勝利を呼ぶ大活躍にもニコリともせず、うつろな表情でした。「寒すぎて頭が痛かった。肺も凍りそうだった。呼吸するのが苦しくて本当に死ぬかと思った」。白い息とともに吐き出したのはまたも嘆き節。その真顔、その涙目が〝もうこりごりだ〟と訴えていました。
祝・ルヴァン杯優勝! 25年前にも、どんなに厳しい状況であっても死力を尽くすだけでなく結果を残す、こんなプロ中のプロがいたことをお忘れなく。

文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。今年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。