「若柳」
佐賀市材木2-2-1
午前11時〜午後7時ごろ。第1、3、5日曜定休
豚肉ちゃんぽん800円、牛肉ちゃんぽん1,000円
思い込みというものは、案外、簡単に抜け出せる。異論があるかもしれないが、そう考えるようになったのは、自分の経験があるからだ。昔、ちゃんぽんと言えば、長崎と信じて疑わなかった。でも今、僕にとってちゃんぽんは佐賀。きっかけは15年ほど前、佐賀市の「若柳」を食べてからである。
国道264号沿い、佐賀県庁から東へ800mほどいった場所に店を構える
いつもは豚肉ちゃんぽん、時々、牛肉ちゃんぽんを頼む。うどんのメニュー札も下がっているが、女将の中村保代さん(75)は「うどんの準備は5食くらい。あとのお客は皆ちゃんぽんよ」と言う。久しぶりに頂いた。手早く炒めた野菜は、シャキシャキで香ばしい。熱々のスープをすすれば、じんわりとした獣のうまみが持続する。
長崎との違いはいくつかある。まずは鶏がらのみで、豚骨は使っていないこと。とろみがなく、あっさりとしたスープに仕上がっている。一方で、長年、継ぎ足しながらつくっているためか深みもある。
具材も違う。「においがつくから」とエビやイカなど魚介類はなし。また「水分が出てしまうから」とキャベツも入れない。すっきり、キレのある味の秘訣はここにある。
「創業してもう90年よ」。中村さんは変わらず威勢がいい。昭和8年に中村さんの義父の亀作さんが始めたそうだ。昭和10年に出前先に送った請求書のコピーを見せてくれた。そこには「洋食品、丼類、支那うどん、生そば若柳」とある。「最初は食堂としていろいろやってたみたい。支那うどんがちゃんぽんのことよ」。亀作さんが長崎でつくり方を学び、佐賀の人たちの舌に合わせたちゃんぽんは当時から大人気。請求書には酒肴、ところてんなどの品目もあったが、支那うどんが1番人気だった。
佐賀では戦前から、酒が飲めて、食事もできる「食堂文化」が華開いた。大正から昭和の初めにかけて、春駒(いまでもちゃんぽん、皿うどんの名店です)、大ばかもり食堂、志げる食堂などが開業。その中の一つが若柳だった。戦後になると、佐賀に久留米から豚骨ラーメンがやってくる。当時、チャンポンを出していた店は、軒並みラーメン店にくら替えしたという。そんな中でも、若柳はちゃんぽんにこだわった。
昆布とカツオの和だしと鶏がらスープに薄口しょうゆ。具材は、もやし、タマネギ、ネギ、かまぼこに加えて「昔はぜいたく品やった」という魚のすり身と卵の蒸し物「あべかわ」を載せる。亀作さんから、中村さんの夫・新さん(83)へ。さらに2代目から、息子である3代目の優さん(46)へと、その味は伝わっている。
つくり方はずっと変わらないが、飲食を取り巻く状況は変わった。食堂文化は廃れた。飲食店は増え続け、競争は激しくなった。それでも中村さんは「100年は続けんばね。息子がどがんでんすっやろ」と楽観的だ。
「もうかりはせんよ。でも、つくるもんの変わっと、おいしなかごとなっさ。家族だけでやってきたし、これからもそう」
その言葉を聞いて、なんだか安堵感を覚えた。若柳は周りを気にせず、「今まで通り」を貫く。継ぎ足しスープの鶏がらちゃんぽんは、これからも深みを増していくのだろう。