いつもはひょうひょうとしたダイエーホークスの某球団職員さんが、珍しく浮かない顔でした。「ちょっと悩ましい事があってさ…」と、ため息ひとつ。今からジャスト30年前の1993年10月、秋季練習が始まる雁の巣球場での出来事です。
この年は根本陸夫監督の就任1年目。シーズンは〝圧倒的〟な最下位でした。45勝80敗5分けの借金35。優勝した西武ライオンズとは、なんと28ゲーム差です。
もっとも、負け続きの日々にも根本監督は平然としたものでした。口出しはせず、あらゆることを選手に任せることで個々の力量や性格などを見極める。それがシーズンの目的だったからです。
して、その結論は…。
「このチームは同好会。傷のなめ合いをする」
そう断じると、この年まで16年連続Bクラスと南海時代から引きずる〝負の体質〟にピリオドを打つべく、チームの大改革に着手します。
主軸打者の佐々木誠外野手とエースの村田勝喜投手らを交換要員に、秋山幸二外野手らを迎え入れた西武との3対3のトレード。FA制度で強打のスイッチヒッター、松永浩美内野手を獲得しました。ドラフトでは小久保裕紀内野手も。異名とする「球界の寝業師」の本領発揮です。
もちろん、大改革の断行には中内㓛オーナーの理解が不可欠です。「組織を変えるには血の入れ替えが必要」と脱・同好会の必要性を訴えました。そんな〝根本理論〟に感銘を受けた中内オーナーは毛筆の愛好家。さっそく筆を執り、墨痕も鮮やかにこう記したそうです。
「同好会は終わった」
この自筆をポスターと横断幕に仕立て、球団に送ってきたというのです。球場に貼り出しなさい、と。
それが某職員さんのため息の理由です。「だってさ、これを貼り出したら選手もいい気がしないでしょ」。かたやオーナー指令、かたや選手のご機嫌。いったい誰が貼り出すのかも難問です。結局のところポスター類は雁の巣球場の倉庫に眠り続け、いつしか闇に葬られたようです。
さて、ここまで「そうです」「ようです」とあいまいな表現を連発してきました。なぜなら、現物を目にしていないからです。「見せて。なんなら1枚ちょうだい」と懇願しても、かたくなに「ダメッ! 絶対にダメッ! 記事にするつもりでしょ」。魂胆を見透かされていたのです。
そこから数年の時を要しましたが、中内オーナーの熱意は実って強いチームへと変貌を遂げました。もっとも、このところは強さに少々陰りが見えるような…。蘇るなよ、あのポスター。そう祈るばかりです。
キャンプ視察に訪れたダイエー・中内オーナー(中央)と話し込む根本監督(左)、坂井球団代表(右)=1993年2月
文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。今年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。