「来久軒」
佐賀県武雄市武雄町 4190-2
午前11時~午後4時 月曜定休
ラーメン700円
〝コクがあるのに、キレがある〟
1980年代中頃のアサヒビールのキャッチコピーを久しぶりに聞いた。その言葉を口にしたのは佐賀県武雄市にある「来久軒」店主の奥安弘さん(76)。曰く「うちのラーメンはこの言葉を目指してるんですよ」。
洋食より豚骨ラーメンの方が難しいですよ」と
奥安弘さん
確かに、言わんとすることは分かる。見た目はしっかり白濁で、口に含むと豚骨の出汁がぐいっとくる。まろやかで濃厚、でもスッキリしているのだ。奥さんは続ける。「洋食のノウハウがあるからでしょうね」
奥さんは地元の武雄高校を卒業後、料理の世界に入った。ジャンルは洋食。名古屋のホテルを皮切りに全国で腕を磨いた。昭和47年には独立。当然洋食屋と思いきや、何と焼き鳥屋だった。
「武雄は田舎。洋食ではだめでしょ」
ただ、そこで運命の出会いをすることになる。「三夜待に誘われて」と奥さんは言う。三夜待? 聞き返すと、陰暦の23日夜に催される月待行事のこと。武雄では近しい者で飲みの席を設けるのだという。集まっていたのは高校の同窓生。そのうちの一人が佐賀県内でラーメン店を展開する「喰道楽」創業者の平川比登士さんだった。
昭和48年に佐賀県北方町で創業したばかりの喰道楽は、すでに忙しいらしかった。平川さんから「人手がいるから手伝ってくれないか」と言われ、焼き鳥屋と掛け持ちしながら厨房に入るようになる。人気ぶりは予想以上で「焼き鳥よりラーメン」と即断。すぐに店の場所探しを始めた。
元だれのつくりかたや骨の炊き方は習った。それからは洋食のコックとして腕の見せ所だ。「佐賀はコクだけではダメ、キレがないと。そいぎ、つくり方を変えたんよ」。骨の種類と量、火加減を調整。ポタージュ、コンソメのスープの取り方も参考にした。
出店場所に選んだのは「御船山楽園」のすぐそば。市街地から離れた立地ではあるものの、佐賀から長崎へと抜ける幹線道路なのだという。当時は長崎自動車道がつながっておらず、今より交通量が多かった。「すぐに売れて、昭和53年には増築ですよ」と振り返る。
建て増した部分につくったスープ場を案内してもらった。四つの大きな羽釜が並び、それぞれに時間差で炊いたスープが入っている。古いものと新しいものを継ぎ足しながらスープを完成させる。久留米の呼び戻し系スープの製法と似ているように思った。「久留米系は骨を混ぜる。でもうちは全く混ぜない。骨を崩さないように炊くんです」。すっきりとしたキレの理由の一つかもしれない。
〝なにも足さない。なにも引かない〟
奥さんに座右の銘を聞くとそう答えた。真意は自分自身の味を信じて貫くということらしい。「まねをして潰れた店はいっぱいある。よそのを食べたら美味しく感じるから、他の店には行かないね」。
ちなみにこの座右の銘は、サントリーウイスキー山崎のキャッチコピーである。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版担当デスク。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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