初対面の映画人に挑む
ある日、「ぐらんざ」編集部に突然お客さんが訪ねてきた。私は不在だった。その男性は、私が担当するコラムを指さしながら「岡ちゃん、いる?」と言ったそうだ。アポなし訪問、しかも東京の人らしい早口の話し方に事務所のスタッフは「?」となったそうだ。だが話を聞いてみると元々東京の映画会社の制作畑で働いていたが5年前に福岡に移住、友人もあまりおらず映画の話をしたかったと分かり名刺を預かったそうだ。
この欄で私は映画の雑学を披露することが多い。経歴を正直申せば、中学時代から映画にのめり込み、映画会社に就職したいがために映像系大学へ進んだ。夢は果たせず活字を扱う新聞社に就職した。「三つ子の魂百までも…」ではないが、つい映画の話を書きたくなってしまう。突然来訪してきた男性は、私の本性を見抜いていたのかもしれない。連絡を受けてすぐに電話した。「近くで会いましょう」という話になり、マクドナルドで待ち合わせた。
男性は私を指さし「あっ! 岡ちゃん」が第一声。私も「はい、岡ちゃんです」と応じたので、店のカウンター内のお嬢さんたちは年寄りが「ちゃん」づけで呼び合っているのがおかしかったのかクスクス笑っていた。席に着くやいなや映画談議に挑むことになった。男性はOさんという人で大映→松竹→橋本プロダクションの制作現場で働いていたそうだ。橋本プロダクションと言えば、黒澤明監督の作品でシナリオを書いていた故・橋本忍さんが立ち上げた映画制作会社だ。
橋本プロが制作し、高校時代に何度も号泣させられた「砂の器」、同プロが制作した大作「八甲田山」の撮影現場の話を聞き、私は時間を忘れてOさんの思い出話に聞き入った。Oさんは自分が関わった映画をDVDに焼いて貸してくれ、ついでにご自身の日本アカデミー賞の会員証も見せてくれた。映画界への夢の残滓をコラムの行間に込めた私の思いをくんでくれた映画人が訪ねてくるなんて…。つくづく、私は幸せ者だと思った。
文・写真 岡ちゃん
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。