「めんちゃんこ亭」
福岡市早良区百道2丁目8-1
午前11時~翌午前5時 定休日なし
元祖めんちゃんこ748円
飲んだ後の2軒目に行くのがぼくにとっての「めんちゃんこ亭」だ。いつもまわりは赤ら顔の人ばかりだが、この日は違った。平日の昼下がり。学校帰りの高校生、若いカップル、年配の夫婦、カウンターには女性一人客もいる。客層の広さを実感した。
「うちは居心地の良いエイジレス(年齢に関係ない)な店が目標です」とは社長の米濵裕次郎さん(50)。世代を超えた人たちのお目当ては名物「めんちゃんこ」にある。文字通り「麺」と「ちゃんこ」を合わせた看板メニューだ。
社長の米濵裕次郎さん
店は昭和55年、米濵さんの父昭英さん(79)が福岡市早良区で創業したのだが、その歴史を説明するには時をさらにさかのぼる必要がある。中国で生まれ、戦後鳥取に引き揚げた昭英さんは、長崎でバーを経営していた兄の豪さん(故人)に呼ばれて事業を手伝うことになる。昭和37年、豪さん、弟の和英さん(78)と一緒に始めたのが「とんかつの浜勝(現在の濵かつ)」だった。浜勝はのちに「長崎チャンポン リンガーハット」を展開し、大手外食チェーンに成長する。
昭英さんは早くに兄弟から独立し、経営者として別の道を歩んだ。昭和46年、四国で食べた讃岐うどんに感動して「鬼が島うどん」を創業すると、九州・沖縄に20店ほど持つまで急成長させた。そして運命的な出会いを果たす。
「店に来た同郷の横綱『琴櫻』関と親交を深め、九州場所では部屋に招かれたそうです」と米濵さん。そこで「ちゃんこ」をごちそうになり、締めの麺に感動した。それをヒントにしたのが「めんちゃんこ」なのだ。
「父は鍋での提供にこだわっていました」。米濵さんがそう話す一品は、熱々の鉄鍋で出される。ベースはハモのだし。浜勝時代、京都出身の従業員が賄いでつくったハモだしの吸い物が忘れられなかったからだそう。すっきりスープに野菜や肉のうま味がしみこむ。鍋は最後まで熱々。でも麺は、煮込まれてもプリッと歯ごたえを残す。
今でこそ名物となったが当初は思ったように売れなかったそうだ。当然、経営は良くなかった。ただ、独自の味に自信を持っていたのだろう。昭英さんはうどん店をすべてたたんだものの、めんちゃんこ亭だけは手放さなかった。
米濵さんが経営に携わり始めたのは20代前半の頃。バブル崩壊後で「マーケティングでは『客層を絞れ』と言われていました」。でも、そうはしなかった。「だれもがほっとできるような〝温かさ〟のある店にしたかったので」。チゲ味噌などめんちゃんこのレパートリーを増やし、夜の居酒屋形態を始めるなど徐々に経営を軌道に乗せた。
リンガーハット名誉会長でもある叔父の和英さんからは、今もいろいろな助言をもらう。損得ではなく善悪で判断すること。社会貢献の姿勢―。「教わったことは自分の根っこになっている」と米濵さんは感謝する。でも、従わないことも。「もっと店舗拡大すれば」。和英さんからたまにそう助言されるがあまり意に介さない。
「店舗数とかは気にしてないんですよね」。チェーン店らしからぬその姿勢が、米濵さんの目指す〝温かさ〟につながっている気がした。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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