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ハットをかざして 第184話 いつ鎌倉へ

ハットをかざして 第184話 いつ鎌倉へ


 社内の管理課の女性と付き合っていた。

 ボウリング大会で同じレーンとなり、交際が始まった女性である。私がビートルズのLPをほぼ持っており、部屋に聴きに来るようになった。ステレオはコンポーネントで、アンプはソニー、スピーカーはパイオニア、ターンテーブルはビクターと、ボーナスをはたいて買った自慢の組み合わせだった。

 ある日「僕は近いうちに芥川賞を取る。将来は鎌倉に住むことになるだろう、君は編集者の相手でもしていてよ」とプロポーズした。吉行淳之介に「中洲君、小説は作文とはちがうんだよ」とアドバイスを受けた話や、原田種夫先生に「この調子、この調子」と褒められた話もした。この約束は未だ果たしていない。

 ご両親の許可を頂きに彼女の家を訪うことになった。家は西公園の坂の上にあり、父親は大映という映画会社を定年まで勤め、今は示現会に所属している画家だった。銀髪のオールバックで飄々とした人物で、母親はふっくらとした、例えれば博多人形のお福さんのような方だった。おかげで内心の緊張感は和らいだ。

 お酒とご馳走が出され、宴席となった。

 「コピーライターっていうのは、どんな仕事?」と問われる。当時まだコピーライターという職業は市民権を得ていなかった。「お得意先の商品を消費者に好きになってもらう仕事で、堅く言えば広告文案士です」

 「ふーん、御仲人さんのようなものかな…」

 「はあ、とは云っても、仲人口ではありません。衣の下の鎧が見えたのでは、人は買ってくれません。言いたいところを寸止めで、言わぬが花がコツと云いましょうか」

 「ほっ、なかなか奥が深いものなんだねえ」

 「いえ、それほどではありませんが、日本人は我田引水を嫌いますから、謙譲の心で書いています」

 父親は少し酩酊し、興が乗ったのか、ご祝儀を一節出した。明治の大名人三遊亭円朝作「塩原多助青との別れ」の場面を演じた。愛馬青と別れて江戸を向かう多助。沼田原の別れの名場面である。多助は青の顔を見られない。これまでのつらい苦労や青への恩義を独り言ちていると、分かったのか青は涙を流す。「ヤー、わりゃぁ、泣いてくれたか、かたじけねぇ」、青は多助の草鞋を踏み、袖を咥えて離さない。父親の迫真の芸だった。

 感じ入っていると、「君も何か出さないか」

と誘われて、「コピーライターダンチョネ節」をお返しに唄った。

 ♪コピーライターに娘はやーれぬ ヤクザ稼業のね 浮き沈み ダンチョウね

 ♪コピーライターに娘はやーれぬ 博多無宿のね 渡りー鳥 ダンチョウね

 ♪コピーライターに娘はやーれぬ やれぬ娘がね 嫁きたーがる ダンチョウね

(替作詞 矢野寛治)

 「君はちょいと粋な歌を唄うね」

 でこの結婚は許された。

 あれから48年、妻は毎年「いつ鎌倉に住むの」と私に云う。私は黙して油山を見つめている。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

◎「西日本新聞 TNC文化サークル」にて
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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