斎藤茂吉の「写生道」の中に、短歌の極意は写生であると記されている。では何を写し取るのか、写生の真ん中に「人」の字を入れよとある。入れると、「写人生」となる。つまり、人の人生を写し取れと云っている。
広告のコピーも同じである。物を買っていただくのに、物のことばかり披歴羅列しても、見る人は鼻白む。我田引水に辟易とする。大道香具師でさえ、最初から物の事は云わない。まずちょいとした御座興で人の気を惹く。男はつらいよのフーテンの寅の啖呵売を見ればよく分かる。面白いことを云うから、立ち止まり、心を開き、「そのウソ、買った」と財布のひもを弛めるのである。コピーライターも、買ってくれる人、広告を見てくれる人の人生を語る。そこがうまく表現できれば、自ずから商品は支持され、市場は生まれて来る。
徐々にコピーを書かされるようになって、先輩ライター陣に口を酸っぱくして云われたことは、物のことはあまり云うな、「物より人」、人を描くことを徹底的に叩き込まれた。
当時、長嶋茂雄選手の「月夜の千本ノック」が有名な話だった。長嶋が立教大野球部の頃、鬼の砂押監督から暗闇の中で猛烈なノックを浴びせかけられた話である。その言葉をもじり、「コピーの百本ノック」がこの会社の新人教育の伝統だった。
一商品を与えられると、その商品が人々の目に心に叶うよう、百本のコピーを書くのである。原稿用紙の前でただ腕組みをしても、百本にはほど遠い。まずセールスポイントを捜す、長所をさらう、スペックを書き連ねる。それで百本出しても、すぐに屑籠にバサバサッと捨てられる。
ある日、「三世代同居住宅」のキャッチを書くように命令がでた。親子三世代で住める三階建ての家である。一階が老夫婦または老母の住まいで、二階にキッチンやリビング、風呂トイレがあり、夫婦の居住室もある。三階に子供部屋がある。間取りを吟味し、利便性居住性でキャッチを作り上げていった。
「コピーライターに向いてないんじゃないか」「田舎へ帰るか」「キャッチとはハートをキャッチするんだ」
いろいろな叱声、叱咤を受けた。何とか先輩やディレクターのメガネに叶おうとまた百本書いて出す。バサバサバサッ、また百本出す、バサバサバサッ。途方に暮れていると、長髪の先輩が見かねてか寄ってきて、買う側、住む側、田舎の老母の気持ちになって書いてみな、とアドバイスをくれた。深夜まで、また百本を書いた。
翌朝、おそるおそるコピーディレクターに提出すると、「おお、やっと書けたな。これでいいんだ」と一本を褒めてくれた。
「私のことは心配せんでいい、何とかやっているから」
このコピーに田舎の老母の笑顔の写真を付ければ成立する。息子は田舎に一人置いている母を呼び寄せようかなと考える。百本書けば、一本は神様が書かせてくれることを会得した瞬間だった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
◎「西日本新聞 TNC文化サークル」にて
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