「四方平」
北九州市小倉北区京町1-2-22
午前11時~午後8時 木曜、第2、3水曜定休
ラーメン500円 ラーメンセット(細巻き1本付)700円
スペシャルセット(上にぎり5貫付)1,500円
☎093・521・0323
沿岸部に工場群があり、駅近くには路地裏、そして旦過市場…。シンボルの小倉城の隣には、なんとも現代的な商業施設が立つ。異質なものを併せ呑む、とでも言おうか。小倉の街にはそんな包容力を感じてしまう。この地で「四方平(よもへい)」は長年愛されてきた。店の看板メニューもすごい。ラーメンと寿司である。
のれんをくぐると右手のテーブル席で客がラーメンをすすっていた。左を向けば、さらにのれんが掛かり、その奥に寿司カウンターが現れた。板場を仕切るのは2代目の弘法(こうぼう)義一郎さん(72)。毎日ラーメンをつくり、寿司を握る。大リーグの大谷翔平選手よりずっと前から二刀流である。
「もともとは寿司屋だったんですよ」。弘法さんはそう話す。創業は昭和12年。関西で修業を積んだ父親、克己さんが近くの「井筒屋」前で屋台を始めた。当時、小倉に箱寿司はあったが、江戸前の握りはなかったらしい。軍都ゆえ、中央からの客が多かったからなのか、地元民にとっての珍しさからなのか、すぐに人気となった。「1日米5升炊いて、握っていたそうです」。翌年、今の場所に店舗を構えた。
ただ、その賑わいも戦争がかき消す。克己さんは兵隊に取られた。残された家族はところてんを作るなどして、なんとかのれんを守ったという。
戦後、台湾から引き揚げてきた克己さんだったが、「すぐに再開」とはいかなかった。「なにせ米がないですからね」と弘法さん。そこで克己さんは関西での修業時代に習った支那そばを出すことを思いつく。鶏がらベースの一杯は、珍しさもあって大ヒット。寿司を再開した時にラーメンを辞める選択肢はなかった。
昭和24年に撮影した店の写真を見せてもらった。ラーメンと寿司屋の入り口は別々で、店内も仕切られていた。「両店とも出前がよく出てました」。店の上に住んでいた弘法さんは、その繁盛ぶりを子どもながらに記憶している。
ぼくがここを初めて訪れたのは10年ほど前だろうか。当時は外壁に「拉麺と寿司」と垂れ幕が掛かっていた。海外にある日本料理屋のような、なんとも言えない違和感は一口食べるとすぐに消えた。意外に合うのだ。今食べても同じ。基本は鶏がらで豚骨が少しまざる。あっさりではなく、濁ったスープは鶏のうまみがぐいっとくる。セットで選べる巻物は鉄火巻きにした。動物系とは違うさっぱりさが味覚を喜ばせてくれる。
弘法さんも父親と同じく、関西の寿司屋、ラーメン屋で学んだ。戻ってきた若き2代目が考案したのがセットメニューだった。「鶏がらだから寿司と合うんだと思う」。このセットが当たった。いつしか入口が一つになり、店内の仕切りも取り払った。
「9割のお客がラーメンセットを頼みます」と弘法さん
「寿司とラーメン。どっちが好きですか?」。最後に弘法さんにちょっと意地悪な質問をした。間を置いて「両方かな」と笑った。ラーメンのサイドメニューとして巻物や握りを食べるのもいい。寿司の〆にラーメンをすするのもいい。この店にも小倉らしい包容力があった。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている