かつて挑みました
タイトルの「挑む!」ではなく、かつて挑んだ!ことを書くことにした。26年前の1995年3月20日、私の誕生日に起きた「地下鉄サリン事件」に思うことがあり「書いておかなければ!」と切実に考えたからだ。
実は、あのサリン事件よりも前に私は新聞記者としてオウム真理教と当時の熊本県波野村で直接対峙し、取材した経験がある。テロ事件を起こす前だったから、記者仲間や宗教学者などから「報道関係者は新興宗教に対して、色眼鏡で見る傾向がある」と注意されたことすらあった。だが、実際に相対してみると信者だけでなく教団幹部連中の怪しさは異常なものだった。詳しくは「現場/記者たちの九州戦後秘史」(西日本新聞社刊)の中で書いたが、私の家族が暮らす支局へ夜中や明け方に訪ねて来て布教活動と称して脅しめいた発言をするわ、尾行も平気でするわで、たっぷり不快な思いをした。
「現場 記者たちの九州戦後秘史」
西日本新聞社 編 (1540円)
その後、私は本社運動部に配属となり、転勤から5年後に地下鉄サリン事件が起きた。以来、戦後史を揺るがした重大事件として私の誕生日に前後して「振り返り報道」が繰り返される。私の誕生日は犠牲者の「命日」として、より私の心に刻まれるようになった。同時に「なぜ、あの時に教団幹部たちを追い込まなかったのか」という悔しさも年々増すばかりだ。
今年も悔恨の思いを抱えながら、事件から26年の報道をテレビ番組や新聞記事を読んだ後、映画専門チャンネルで「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を偶然見た。頭の中をガツンとやられた気がした。ワシントンポストとニューヨークタイムズという米国の新聞社が、国防総省が作成した敗色濃厚なベトナム戦争調査文書をスクープする奮闘ぶりを描いていた作品だ。ワシントンポストもニューヨークタイムズも米国政府と大統領と、がっぷり四つに組んで対峙し、ワシントンポストは後にウオーターゲート事件報道でニクソン大統領を辞任するまで追い込んだ。
新聞が読まれなくなったと言われて久しい。しかし、私も執筆に参加した「現場」にも書かれているが諸先輩が様々な出来事や事件に際して様々な苦難に挑み、記事にしてきた長い歴史が新聞にはある。これからも新聞が書かなければならないことは、あまたあるはずだ。OBのはしくれとして後輩記者たちを激励し、読者の皆さまには書くべきことを書く重要な役割を担う西日本新聞をはじめとした新聞という媒体を、今一度見直してもらえることを願う。
文・写真 岡ちゃん(岡田雄希)
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。