「東京支社でくさ、この書類をなおしといて、ていうたら、どこが間違っているんですか、ていうっちゃもん」
博多弁で話題になることばの筆頭は、「なおす」ではなかろうか。前回のテキスト「茶話指月集(ちゃわしげっしゅう)※1」に、「なおし」と「なおる」が1か所ずつある。
なおし…昔 ※2は四畳半の茶室の炉は、夏になると板でふさいで、「風炉(ふろ)をそのうえになおし ※3」釜を鎖や自在鉤(じざいかぎ)でつりさげ…、とあって、ここでは「置く」というような意味でつかわれている。
なおる…今 ※4は初座(しょざ)と後座(ござ)※5で、正客と末客が入れ替わるが、「(昔はさわがしいので)前後同じ所になおるなり」とあり、初座のあと休憩をはさんで御座に戻るとき、同じ位置に「もどる」という意味でつかわれている。
関東で「なおす」は、修繕する・病気を治す意味だが、博多では、修繕・治療のほか「収納」する意味でも使う。ちなみに、京都や大阪でも、なおすは「しまう」という意味なのだそうだ。博多は「遠(とお)の朝廷(みかど)大宰府」もあって、近畿文化圏なのだった。
いまさらと思うが、電子辞書で「なおす」を引いてみた。これまで方言だから載っていないと思い込んで調べないでいたが、ちゃんと載っているじゃないか。それも、広辞苑第七版では16種も解説している。16種それぞれ文例があるけれど、古文ばかりでむつかしい。※6他もいろいろ読んで、本義というべきものはおおざっぱに、(ア)しかるべき状態に戻す。(イ)良い状態に改める、のふたつと勝手に決めた。この二つから、いろいろ用例が出てくるんだ。
(ア)化粧をなおす。居ずまいをなおす。
(イ)気分をなおす。病気を治す。故障をなおす…取り出したものを「なおす」
考えなおす。書きなおす…
桜田門外の変で暗殺された大老の井伊直弼(いいなおすけ)は、一派をなすほどの茶人だった。著書「閑夜茶話(かんやちゃわ)※7」にも、「壺を座敷の真中に直して座に入る」と、「直す」が使われている。井伊直弼は江戸で大老だったが、琵琶湖湖畔の彦根育ち。近畿言語圏の人だった。
ブリタニカで興味深いことばにであった。ケラ(cella)は古代ローマ神殿の神像の安置場所のこと。四角形で入り口以外の三方は壁。ギリシャ神殿の内陣ナオス(naos)と同じだという。神像を安置する(しまう)場所がナオスとは、ビックリしたなあモウ、だ。
早くコロナ以前の生活になおりたかねえ。
※1 茶話指月集…久須美疏安が義父の藤村庸軒(千利休の孫宗旦四天王の1人)の話をまとめたもの。「山上宗二記 付 茶話指月集」熊倉功校註・岩波文庫168、192頁。
※2 昔…利休の時代か。今は炉の部分を切った畳を普通の畳にかえる。
※3 なおし…詳しくいえば、季節が巡り囲炉裏型の炉を「なおし」て、前年「なおし」ておいた風炉を取り出し、あるべき場所、ふさいだ板のうえに「なおし」たということ。
※4 今…茶話指月集の出版された元禄14年ごろ。あるいは原稿の書かれた寛文・延宝年間かも。伝授される茶の湯も時代(今、昔)で変化することがあるという例。
※5 初座と後座…正式の茶事の前半炭点前・懐石・菓子が初座、一旦茶席をでて中立ち(休憩)。ふたたび入室し濃茶・薄茶が後座というそうだ。茶は素人なので辞書を首っぴき。
※6 むつかしい…方言かと思っていたが辞書類にある。辞書ひとつがやや方言的と解説。
※7 閑夜茶話…井伊直弼著『茶湯一会集・閑夜茶話』戸田勝久校註168頁。あるとき利休が葉茶壷を茶室のくぐりの前に置いていた。5人の弟子が戸を開けると壷が目の前にあるので中に入れない。相談し座敷の真中に壷を置いて入室したという逸話。(イラスト参照)
長谷川法世=絵・文
illustration/text:Hohsei Hasegawa