「丸和前ラーメン」
北九州市小倉北区魚町の旦過市場入り口
午後8時半頃~未明まで、週末を中心に営業する
(すぐそばの店舗は午後6時頃~未明、不定休)
ラーメン750円 おでん140円(タコ以外) おはぎ120円
丼を受け取ると、見ただけで濃厚だと分かる。とろみがありそうな褐色スープ。表面は艶やかな脂を纏う。すすってみると思った通りの濃さで、塩味も獣臭も力強い。変化球なしの直球勝負。北九州・小倉の屋台「丸和前ラーメン」の一杯には、そんな潔さがある。
2代目古賀妙子さん(62)によると、創業は昭和35年頃だという。先代は両親である光末功さん、節子さん夫婦。最初はおでん屋台としてスタートし、ほどなくラーメンも出すようになった。
名物おでんも人気となっている
功さんはもともと大工だった。おでんは知り合いの屋台「ささ屋」から習った。ラーメンは久留米にある老舗「丸星」に客として通った。当時小学生だった古賀さんは毎週のように連れられて行った。「店で食べた後は一升瓶にスープを入れて持ち帰っていた。研究熱心でしたよ」と思い出す。
味のインパクトはすごかったのだろう。店の名前を付ける前に人気となったようだ。旦過市場入り口にあったスーパー「丸和」のシャッター前が定位置。それゆえ客からは「丸和前」と呼ばれるようになった。スーパー側に許可を得たわけではない。それでも丸和の創業者が「人気店だからいいじゃないか」と言ったとか。そんな逸話もこの店らしい。
昭和54年には丸和がスーパーとして全国で初めて24時間営業を開始。シャッターが閉まらなくなったため、屋台を少しだけ移動させている。市民の足だった路面電車はいつしかモノレールになった。付近の屋台には「酒はNG」という不文律があったため、平成22年には近くに店舗を構えて酒の提供を開始。今では店舗と屋台から街を見続けている。
丸和は、経営母体が変わったことに伴って昨年3月、「ゆめマート小倉」になった。今後は旦過市場自体の再開発も予定されている。それでも地域からは変わらずに「丸和前」と呼ばれ続けている。「うちはこのままで行く。父と母から受け継いだスープを変えるつもりはない。このラーメン、ほかじゃ作りきらんでしょ」と古賀さんは言い切った。
ちなみに、ボクにとっての「丸和前」の思い出は別のところにある。もう15年以上前になるだろうか。初めて屋台を訪れた夜、ぞうきんを手渡されて戸惑った。カウンター席は満席。多くの人がその周りで立ったままラーメンを食べていた。よく見ると、彼らの手にはぞうきんが。意味を理解したボクもその一人として立ったまま黙々と一杯を頂いた。
「ぞうきんを持つと熱くないでしょ。それと『そろそろラーメンが来るよ』の合図。ぞうきんラーメンとも呼ばれてましたね」
味もさることながら、店自体の〝濃さ〟も魅力の一つ。令和の時代も「らしさ」はぶれずに残ってほしいと願う。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。