深夜残業の日々に鍛えられ、広告制作にも慣れてきた。グラフィックが中心だが、時にラジオCM、また時にテレビCMと変化があり、タレントの出演交渉にも慣れ、この商売の面白さが分かり始めていた。
残業は上からの命令ではなく、各自、妙案ができるまで随意であり、タイムカードはなく、勝手に残業帳簿に書き込んでいた。夜10時を過ぎるとタクシーでの帰宅がOKであり、皆、10時前に退社するということはなかった。当時、タクシー代3000円未満までは領収書不要で、越えた場合のみ領収書を取っていた。運転手さんも馴染みになると、白紙の領収書を余分にくれてたりもした。12時を過ぎると、会社の前にはタクシーが連なっていた。東は千葉、西は狭山、南は藤沢と云った遠距離の社員たちを狙っていた。
私は吉祥寺に帰る途中、六本木の霞町や、赤坂、渋谷道玄坂界隈に立ち寄り、酒で神経を解きほぐしてから帰宅していた。タレントで初めて仕事をしたのが、当時売れっ子の中野良子さん、編み機の会社の広告だった。美しさとえくぼのあどけなさに見惚れていた記憶がある。有名タレントさんや、女優男優、歌手やアイドルに会える仕事で、お得意先の意思決定者の会いたいタレントさんを聞き出し、ギャラ交渉をして提案していた。クライアントも意中の人であり、必ず案は採用されていった。
1973年12月12日、CM演出家の杉山登志が自殺した。37歳だった。日本一のCM作家で、我々若手の憧れの人だった。前田美波里や秋川リサ、バニー・ラッツ等を化粧品メーカーCMで世に送り出した。すべて完璧に美しいCMを撮った。カメラ位置、アングル、引きと寄りが絶妙で、望遠での空気感、アップの清明感、強烈な光と影、ロングショット、眩いハイキーを多用した。無言のドラマで、瞳の演技だけで、女性を美しく撮ることに長けたクリエイターだった。
遺書が残っている。
「リッチでないのに リッチな世界など わかりません。ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません。
『夢』がないのに 『夢』をうることなどは…とても
嘘をついてもばれるものです。」
新聞に小さくベタ記事で彼の死は紹介された。この世界に入ったばかりの駆け出しは愕然とした。いつか名を挙げ、彼のように流行のファッションに身を包み、可愛いモデルたちを引き連れ、真っ赤なポルシェに乗ることを夢見ていた。一瞬で瓦解した。彼ほどの人物が、彼ほどの収入があっても、「夢がない」と云っている。名声もすべて手に入れたことで、次の目標が無くなったのか、どこまで登っても所詮、無であることに気付かされたのだろうか。この仕事の是非を考えさせられた。
その夜は新宿ゴールデン街で朝まで飲んだくれた。
杉山登志
1936年・1973年
「CM界の鬼才」と称されたCMディレクター
しかし天才がゆえの苦悩からか37歳の若さで自ら命を絶った
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
◎「西日本新聞 TNC文化サークル」にて
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita