
どこに行っても大変だ
このところ、自宅近くの公園に出掛け、ぽとぽと歩いている。ところが、歩く人が最近目立って増えてきた(先輩ウォーカーからすると、「お前も増えた一人たい」となるが、それは置く)。
池の周りに遊歩道があるが、狭い。夕方ともなると、狭いその遊歩道に、歩く人、走る人、犬を連れた人etcが列をなしている(ややオーバーか)。「群れ」の中心は、言わずと知れたリタイア世代だ。
少し困っているのは(遠慮がちに書いた)愛犬家のマナー。数人が集まると、「うちの子」の話で盛り上がっている。それはいいのだが、その後、百一匹ワンちゃんの大行進でござーい。横一列で道は占拠され、とても歩ける状態ではない。
翌日、スポーツジムに行く。会員の6割は女性、それもオバチャマが圧倒的多数。彼女たちの特技はすぐ友達になって仲間をつくること。好き嫌いも激しい。だから派閥がいくつも出来、対抗心もあってますます舌好調で元気になる。
ここでは、トレーニングスペースよりも1階の待ち合わせソファがいつも満員御礼。ソファは午後2時ごろからは彼女たちの占領下に入る。バナナやおにぎりを片手におしゃべりタイムがスタート。一風呂浴びて解放感もあるのだろう。「あらもうこんな時間!」。夕刻まで話は尽きない。
ところが、オッサンたちはほぼ例外なく「おひとり様」である。誰とも話さず、黙々とペダルを踏んだり、ウオーキングマシンを歩いたり…。まるで修行僧だ。かく言う私もジム通い3年にして親しく言葉を交わす男友達は十人もいない。
そして帰りに一休みしたいソファはすでにオバチャマたちに制圧され、座る場所すらない。
振り返れば、団塊の我々は生まれたときからいつも数との戦いだった(当たり前だ。人間が多いから団塊と命名されたのだ)。プレハブ教室、受験、就職…とにかく人がウヨウヨいた。騒がしくもバイタリティ溢れる時代は過ぎ去ったが、団塊の数の多さはどこに行っても変わらない。
某日の新聞が伝えていた。特別養護老人ホームの入居待ちが52万人、と。やがては特養だけでなく、どの介護施設も入所競争が激化して、くじ引きになるのは悪い夢か。
団塊は死ぬまで数を背負って生き続ける。せめて要介護の日を先延ばしするためにも、公園のあの遊歩道をとぼとぼ歩いて体力維持に努めるほかないだろう。
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト