さらば、下宿
三年間の下宿暮らしに倦んでいた。
隣室とはふすま一枚、欄間は素通しである。プライベートなんぞ一切ないから、夜中に世を恨んで、吠えることもできない。机のまわりに、小川知子のピンナップ写真とブロマイドを貼りめぐらしていた。「続・大奥(秘)物語」を観て惚れこんだのだ。中島貞夫の演出は小川のクローズアップを多用した。瞳の中に、悔しさと哀しさを織り交ぜて、目力のある気性の激しい演技をした。女は気性の激しいのにかぎる。
母は客が紋々を見せてヤクザと分かると、即座に飲み代は要らぬからと追い出した。「二度と来るな」と、母が浪の華をパッと散らせると、気配で分かったのかヤクザは戻ってきて、「おーっ、ここのオバンは怖ぇーのう」と、捨て台詞を残した。
女は男に啖呵が切れるくらいの女が好きだ。小川にはその強さを感じていた。
季節は四度目の春に向かっていた。もうすぐ四年生、最後の1年くらいアパートで暮らしてみたいと思った。井の頭公園の東側、公園駅の裏手にモルタルのアパートを見つけた。6畳一間に小さなキッチンとトイレが付いている。銭湯は歩いて3、4分の処にある。公園側からゆるやかな坂を上り、ちょうど前進座の横通用門の向かい側である。
小母さんに話すと、ようこそ3年も居て頂いてと、一緒にアパートを検めに来てくれた。引っ越す気持ちが揺らいだが、一人暮らしもやってみなさいと背中を押された。下宿は井の頭4丁目、今度のアパートは3丁目、荷物と云っても、文机とラジオと本箱と、ファンシーケースと布団しかない。新聞配達所の友から、リヤカーを借りる。
最後の日、小母さんは改まって、お別れににぎり寿司を取ってくれた。正座して頂いていると、カメラを持ってきて、記念に写真を撮らせてくださいと云う。
「私には、子供がいない。この家には後添えで来た身で、Nテレビに出ている息子は私の子ではない。訪ねて来たりもしない。
小説、書いていましたね。どうぞ、偉い人になってください。この下宿の、私の誇りにしますから…」とシャッターを押す。
「小母さん、買い被りです。私は作家の真似事をしているだけの偽物です。石原慎太郎や大江健三郎には成れないのです。ただ、学生の身で、作家デビューできたらどんなにか恰好いいか、そんな愚にもつかぬ絵空事を思っていたのです。何の土台もない砂上の楼閣です、莫迦なことに結核だけはしましたが…」
小母さんは次のアパートまで同道してくれ、新しい大家さんにご挨拶をしてくれた。今度の大家さんは40歳過ぎの女性で、別れたご亭主の慰謝料でこのアパートを建てたと云っていた。どこかしだらない色気があり、アイシャドーもルージュも濃く、衣装もヴァンプ風に派手だった。
小母さんは心配そうな顔をして、振返り振返りしながら、神田川沿いの小道を戻っていった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)