かけおち
朝、ドアのノックに起こされた。
ドアを開けると、幼馴染の友が立っていた。
「おお…どうしたん?」
と声をかけると、友の後ろに消え入るように可愛い娘さんが佇んでいる。
「おお…どうしたん?」
少し狼狽して、また同じ言葉を吐いてしまった。友とは幼稚園時代からの仲である。小中高も同じ学校で、クラスもほぼ同じであったが、高校の2年の時、彼は理系に私は文系にで進路が変わった。私は東京の私立へ行き、彼は長崎の国立へ行った。
しばし表に待たせ、そそくさと衣装を着替え、部屋に招き入れた。娘さんは二十歳くらい、小柄だが中々の美人である。原田美枝子似であろうか。二枚だけある座布団を勧めるが二人とも遠慮して敷かない。友は胡坐をかいたが、彼女はずっと正座をし俯いている。
インスタントコーヒーを淹れ、寡黙な彼女には気散じにインコを手渡す。
「で、どうしたん?」
と、コーヒーを啜りながら問う。
「うん、彼女は短大の保育科に通っている保母さんの卵なんだ。付き合うようになって一年たつが、親が結婚を許してくれない」
「親が許すも許さぬも、二人とも大人だし、何の束縛も拘束もないじゃないか。自由じゃないか」
「それが彼女は一人娘で、お父さんはオレが養子に来るなら許すと云うんだが…」
「じゃあ、養子に行けばいいじゃないか」
「ところがうちの親父が、オレも一人息子だから絶対許さないと云うんだ」
「しかし…まだ学生の身分だし、別に急ぐ必要もないだろう。就職が決まって働き出してからでいいだろうに…」
しばらくの沈黙があって、
「実は彼女のお腹には、オレの子がいるんだ」
彼女の首が急にストンと項垂れた。私は彼女の頭部を見やりながら言葉を呑んだ。
「二人でどうしていいか分からず、昨夜、さくらに乗ったんだ。東京駅に着いたもののおまえのアパートしか知らなくて…」
「かけおち、か…」
彼女はますます小さく小さく身を締めていく。
「俺は今から学校に行かなくては…。どうしても落とせない科目があるんだ。夕方までに戻ってくるから、これからのことは晩飯でも食べながら相談しょっ、なっ」
即席ラーメンや食パンの場所を教え、「冷蔵庫の中の物は自由に」と云って部屋を出た。学校までは井の頭公園を突っ切って徒歩で行く。日頃は気付かなかったが、途中に産婦人科が多くあることを知る。
授業を終え、得意の野菜炒めでもと考えマーケットで買い物をして戻った。ノックをしたが、人の気配はない。部屋は冷え冷えとしてもぬけの殻のようだ。上り框に置手紙が置いてある。
「なんとか自分たちで考えてみる。子供のことも。突然、ごめんな、ごめんな」とあった。
外は時雨になった。二人のか細い後ろ姿が脳裏で揺れた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)