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ハットをかざして 第91話

ハットをかざして 第91話

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


合い鍵

私の真上の部屋に、二歳上の友が住んでいた。何でも名古屋のカソリック系の大学を中退し、上京してきたのだった。同じ学部、同じ学科だったが、3年のゼミからは別々になっていた。彼の部屋にはステレオが鎮座していた。当時、コンポーネントが流行りで、彼の組み合わせは、ターンテーブルはコロンビア、チューナーとアンプはSONY、スピーカーはパイオニア、一式で20万円くらいの代物で、今に換算すると100数十万と云うところだろう。もちろん針は長岡である。

彼はビートルズに傾倒しており、彼らのLPはほとんど持っていた。レコードが回りはじめると、しっかり埃り取りのスプレーをかけて、丁寧に丁寧に拭き上げるのである。コーヒーを淹れ、バッタ屋で買った中古のソファーに腰掛け、ビートルズの世界に浸るのである。壁にはアビーロードを始め、4人組のポスターが所狭しと貼られていた。

ある日、彼が部屋の合い鍵をくれた。

「昼はほとんど部屋にいないから、聴きたいときは勝手に入って聴いていいよ」

下宿時代はすべて襖だったので、先輩の部屋に入り、自由に本箱から本を借りていたが、アパートとなると躊躇する。何かが無くなったとなれば冤罪でも溝ができる。その由を告げて固辞したが、「そんな心配をするくらいなら、鍵を作って来たりはしない」と渡された。

私はまだ結核で家庭教師以外のアルバイトをする体力はなく、単位はおおむね順調に取っており平日でも暇を持て余していた。彼の言葉に甘えて入り込み、私の好みのビートルズを聴いていた。

初期のものが好きで、「アンド アイ ラブハー」「イエスタデイ」「ガール」「オール マイ ラヴィング」「レット イット ビー」「ドント レットミー ダウン」「ヘイ ジュード」「ザ ロング アンド ワインディング ロード」、部屋を辞する前にもう一度「アンド アイ ラブ ハー」を聴いて自室に戻るのである。

「アンド」には高校時代、非常な思い出があった。私の片想いの子が好きだと云っているのを小耳にはさんだ。私も受験勉強の合間にこの曲を聴いては、プラトニックの切なさの中に染まっていた。今でも♪ツツツン ツツツツ ツンツツ♪というイントロを聴くだけで甘い金縛りにあう。

よく晴れた日曜日、二階の部屋から「ツイスト アンド シャウト」が聴こえてきた。おや、珍しく今日は居るのだなあと思い、出来たての味噌汁を鍋ごと持って階段を上がった。ノックをしても返答がない。曲は鳴っている。わりと音量が大きいから聞こえないのだと一人合点し、合い鍵で部屋に入った。友はベッドに居て、友の体の下に長い髪の女性がいた。瞬間、動転し、慌てて鍋をもったまま部屋を出た。

曲は「蜜の味(テイスト オブハニー)」に変わっていた。私は彼の部屋に鍵をかけ、合い鍵をドアの下の隙間から中へと入れた。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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