同伴喫茶
学生時代、日本はボーリング・ブームだった。民放テレビ各局にボーリング番組があり、男では矢島、石川と云うプロボーラーが高得点を出し、女性では須田、中山、野村たちがミニスカートで人気を博していた。
赤旗の女二人からボーリングに誘われた。ボーリングは高校時代に一度したことがある。T電気と云う会社が炊飯ジャーの販促で、池内淳子さんという女優を田舎町のボーリング場に連れてきた。新東宝でよく拝見しており、ライバルの三ツ矢歌子より、私は池内の方が好きだった。ボーリング場のエントランスに炊飯器がズラッと並べられ、彼女が握手をしてくれると云うイベントだった。おずおずと列の最後尾に付き、順番を待った。自分の番となり、本物の女優さんを50センチの距離で見る。あまりの眩い輝きに「女優さんとはこんなにも美しいものなのか…」と、ただただ恐れ入ったことを憶えている。
その時初めてボーリングなるものに手を染めた。田舎のボーリング場はまだ吊り糸式で、残ったピンも倒れたピンも一度上に吊り上げ、残ったピンのみ下げてくる仕組みだ。ハウスボールの13ポンドで投げ、初めてで150点台をマークした。ストライクの快感にしばらく病み付きになったものだ。
3年振りくらいのボーリングである。場所は井の頭公園横にある、井の頭ボウル。太田雅子似はボーフレンドを連れていた。僕が誘われたのは、西尾三枝子似には彼氏がいなかった所為だろう。二人とも、いつものブルー・ジーンではなく、白いコットンのミニスカートだった。男はIVファッションで、私はすでにIVを卒業しており、長髪にパンタロンのヨーロピアン・スタイルだった。二人でペアーを組んで、3ゲームの総合点を競うことになった。負けた方が後の食事をおごると云う賭けだ。私は彼への対抗意識があり、俄然集中して少し重めの14ポンドを投げた。1ゲーム目はターキーも出て170点台をマーク、2ゲーム目はスペアーをしっかり拾って再び170点台。3ゲーム目は草臥れたか集中力も切れて150点台。それでも3ゲームで500アップ、圧倒的勝利だった。
井の頭公園入口にある「いせや」という昼間からやっている焼き鳥屋へ行く。まだ明るいと云うのにビールを飲む。すべてIVのおごりである。そばに同伴喫茶と書かれた瀟洒なモルタル塗の白い建物があった。IVがそこでお茶を飲もうと云う。喫茶でわざわざ同伴とはおかしいな店だと思ったが、よく分からぬまま入店した。カーテンがすべて閉め切られており、店内は薄暗く、かつ背もたれが高い。ボーイの風情もどこか野卑である。隠微なものを感じ、私は躊躇し出ようと云ったが、三人はすでに着席しかけていた。即座に用事を思いだしたと嘘をつき踵を返した。西尾似が追いかけて来て再度誘われたが、「女の行くところじゃない」と強くつっぱね、大股で公園側に下った。
陽ざしの下、井の頭の池はボートに乗ったアベックたちで溢れていた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)