本サイトはプロモーションが含まれています。

ハットをかざして 第104話

ハットをかざして 第104話

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


「うちに入りたいのか」

私の心中は、田舎から長旅の父を虚仮にされており、総合商社Mの幹部の実態を目の当たりにして、その気は失せていた。ただ父の顔もあり、この場は「ええ、まあ…」と、敵意をこめて曖昧に濁した。Hもマッサージ優先で、幼馴染を40分も待たせた弱みからか、「どっちなんだ」とは追及してこなかった。

父は正直に私が肺結核を患っていたことを伝えた。Hは自分も若いころ肋膜を患っていたことを告げ、「もう完治したのか」と問う。
「ええ、もう治療は終わり、病巣は石灰化しています」
「ならば、別に問題はない」
「単位はどのくらい残してるんだい」
「卒論を残すだけで、他は3年間ですべて取りました」
「ほう、『優』はいくつある?」
「23くらいです」
「ほう、『可』は?」
「2つです」
「あとは『良』か。ま、優が20以上あればいいだろう」

いつの間にか奥さんも出てきて、応接の隅で聞いている。Hはショットグラスをあおり、2杯目を手酌で注いだ。
「ところで、うちの社長の息子も、同じ学校だったなぁ」
「はい、同じ学部で1年先輩です」
「ま、人事に履歴書を出しときなさい。確約はできないが、善処するから。うちは東大でもけっこう落ちるんだよ」

父はHを三拝四杯して、家を辞した。

5時近くになっており、町は黄昏はじめていた。

しばらく無言で歩いた。私の胸中には不愉快さが蔓延していた。
「お父さん…僕はM社には行かないよ…」

父は黙って歩いている。
「お父さん、履歴書は出さないからね…」

聞いているのか、聞いていないのか、
「…………………」

父はずっと無言で歩いている。収まりかけていたHへの怒りが再び私の心の中で蘇る。父と肩を並べて、坂を下る。
「お父さんには悪いけど、僕はあの会社には行かない」

強く断定的に話しかけた。

父の横顔が少しほころびたように見えた。

父の歩調が速くなった。

まだ特急「富士」に間に合うから、東京駅へ行くと云う。急ぎ足で国電板橋駅から山手線で向かった。

東京駅で父は弁当とお茶を2つずつ買い、一つずつを私にくれた。やっと、口を開いた。
「ほんとうに…いいんだな…」
「ほんとうに…いいんです。後は、自分でやります」
「好きに、しろ」

父は嬉しそうに、軽く敬礼の手を額の高さに上げて、車中の人となった。

私はいつまでもいつまでも、富士号の後尾を見送った。

私を乳離れさせる赤いテールランプだった。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

関連するキーワード


ハットをかざして

最新の投稿


[2024年版]50代におすすめのリフトアップ美容液15選|たるみケアに使いたいプチプラ・デパコスを厳選

[2024年版]50代におすすめのリフトアップ美容液15選|たるみケアに使いたいプチプラ・デパコスを厳選

リフトアップ美容液は、たるみケアに着目した化粧品で、肌悩みが多くなる50代におすすめ。本記事では、50代向けのプチプラやデパコスのリフトアップ美容液15選をご紹介します。リフトアップ美容液の選び方にもついてもお伝えするので参考にしてくださいね。


[2024年版]50代おすすめ導入美容液12選|普段のスキンケアにプラスして肌悩み対策

[2024年版]50代おすすめ導入美容液12選|普段のスキンケアにプラスして肌悩み対策

50代におすすめの導入美容液12選をご紹介します。導入美容液はブースターとも呼ばれ、普段のスキンケアの最初に使うことで浸透をサポートしてくれるアイテム。肌への浸透がしづらくなるといわれる年齢を重ねた肌のケアにおすすめです。本記事では、導入美容液の選び方にもついてもお伝えするので参考にしてくださいね。


ぐらんざ2024年5月号プレゼント

ぐらんざ2024年5月号プレゼント

応募締め切り:2024年5月14日(火)




発行元:株式会社西日本新聞社 ※西日本新聞社の企業情報はこちら