8月6日、なんだかんだで、やっとのこと神田にある広告会社の役員面接にまで漕ぎ着けた。
部屋に入ると、5人ほどの50歳前後の紳士が座っていた。一人くらい目つきの鋭い、威嚇するような人物がいるものだが、皆さん知的で柔和な表情で迎えてくれる。私は企業の知的レベルを視るとき、幹部のネクタイのセンスでその企業を諮る。皆、シンプルで質の良い上品な柄のネクタイを着用していた。
中央の常務が、「今日は何の日か、ご存知ですか」と丁寧に問う。8月6日の事は、東京に来て直ぐに観た映画「愛と死の記録」(蔵原惟膳監督)で脳裏に刻まれていた。
吉永小百合と渡哲也主演のヒロシマを舞台にした悲恋ドラマである。吉永は「キューポラのある町」(浦山桐郎監督)よりも、この映画の方が数段、迫真の演技だったように思う。最後のシーン、原爆ドームでの吉永の思いつめた顔は忘れられない。
「広島に原爆が落とされた日です」
慎重に毅然として答える。
「ほー、よくご存知で。お生まれは大分ですよね、広島ではないのによくご記憶されていましたね」
常務は面接に来た青二才にまで敬語を使う。
前に1社、役員面接を受けに行った会社があったのだが、行くと人事部の若手が、「国立の方はこちらの部屋へ、私立の方はこちらの部屋へ」と控室を分けた。
理由を訊いたが、判然とせず、国立と私大に差別のある会社だと分かり、面接を受けずに帰った。交通費の千円は貰えなかったが、呉れると云っても貰う気はなかった。
そこに比べれば雲泥の差の会社であった。
「コピーライター養成講座に行っていましたね。どなたの講座ですか」
「金内一郎先生です」
「ああ、M銀行やK食品のコピーを書かれている方ですね。どんな印象をお持ちですか…」
「人柄のよい、人の温かみを感じられるコピーを書かれる方だと思います。商品やサービスの事よりも、サービスを受ける人間側に立ってコピーを書かれていると思います」
「大切なことですね。我田引水の広告ほど嫌なものはありません。物の事ばかり云うコピーほど詰まらないものはありません」
常務の横の取締役が、「では、制作希望と云うことでいいですか」と希望職種を再確認する。
「ハイ」と答えると、「では、もし、営業とかの他部門採用の場合はどうされますか…」と手ごわい質問をする。
一瞬、どんな部署でも頑張りますと言った方がいいのでは…という考えもよぎったが、「その場合は採用しないでください」と答えてしまった。なぜか役員みんなが優しく頷いてくれた。
左端の人事局長が、「この後、専務面接があります。暫く控室でお待ちください」と云う。
部屋を辞すると、人事部の若い社員が寄ってきて、「すぐに専務面接と云うことは、通ったと云うことですよ」と耳打ちしてくれた。制作以外ならば辞めると云ったことで、内心諦めていただけに喜びが満腔に満ち満ちた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)