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ハットをかざして 第110話

ハットをかざして 第110話

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


ほぼ内定の喜びで、待機中にロビーに下り、故郷の母に電話した。
好結果の仔細を話すと、すでに身上調査員が中津まで調べに来たと云う。近所の人が、「上手に云っといたからね」と告げに来たと云う。10円玉がどんどん消えていく。
「これだから、ご近所付き合いだけは、よくしとかなきゃねぇ…」あたりで、10円玉が切れた。

控室に戻ると、今度は人事課長が最上階の専務室まで先導してくれた。専務室に入ると、美しい女性秘書がいた。もう一つドアがあり、専務室に通された。楕円形の大きなテーブルが目に入る。その奥に艶のいい革張りのソファーセットがあり、その横に専務の重厚な机があった。

専務がソファーへと手招きした。長身で痩躯である。50歳前後だろうか、俳優の宝田明に似たハンサムである。生成りの光沢のあるリネンのスーツを羽織り、鼈甲の眼鏡をしている。書類を覗きながら、
「中洲次郎くん、か。生まれは大分県中津市、か…。中津なら、三田を狙ったんだろう」
「はい、見事に落ちました。駿台予備校へ行こうと思っていたのですが、落とし止めに受かってしまい、浪人の意欲が萎えてしまいました」
「九州で、S大なんてよくは知られてないんじゃないの」
「隣家のお兄さんが慶応の経済に行っていて、S大は就職が悪くないから行け、のアドバイスでした」
「欅並木は元気ですか」
専務は我が大学の名物並木を知っていた。ひょっとして先輩か…と訝りながら、
「はい、元気に天を支えています」と答えた。
彼は先輩だとは云わず、「懐かしいな…」と一人言ちた。
「部活は…」
「やっていません。強いて言えば麻雀部です」
「強いのかい…」
「いえ、勝ったり負けたり…」
「ああ、それで結核になったのかな」
結核を知られていた。応募履歴書には記していない。不安がよぎった。
「いや、完治していると、校医の河北先生よりの診断書がある」

「ところで、同棲しているね」
うん、何の質問だかよく判らない。第一、私は同棲をしていない。怪訝にしていると、
「いや、いいんだ、別に変なことではない」
とほくそ笑む。
「で、結婚するのかね」
「いえ、いや、私は、同棲はしていませんが…」と答える。
「いや、いいんだ、いいんだ、隠さなくても、うちの会社はそんなことは関係ないから」と笑った。

また不安がよぎった。
遠くで女王蜂のようなスタイルをした秘書が婉然と見つめていた。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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