結婚招待状の正体が分からないまま、雪の中をさまよった。井の頭公園の弁天橋を渡り、伊勢屋で飲む。しこたま飲む。ただ飲む。ひたすら飲む。胃の腑を爛れさせるために飲む。惚れてたわけではないのに、何だこの無様さは。あいつが他の男と添う。妄想が駆け巡る。また飲む。あおる。あおる。あおる。惚れていたのか、冗談じゃない、誰があんな女に。優柔不断男のつよがりか、結婚すると聞いたとたんに、この体たらくだ。
伊勢屋のおじさんが「何があったか知らないが、飲みすぎだよ」と心配してくれる。しんと静まる雪の夜、客はほとんどいない。置かれた焼き鳥がこわ張り始めた。他に肴は頼まず、ただただ飲み続けた。店を仕舞うというので、よろけながら吉祥寺駅南口まで来た。駅の伝言板に目をやると、「バカヤロー、2時間待った」「おまえとはこれっきりだ」とか、ところ狭しとウラミツラミがチョークで書かれている。こいつらも今頃、俺と同じようにどこかで酒で魂を焦がしているのか。慰めなんかはほしくない。誰でもいいから、絡みたい夜だった。
あえぎあえぎ北口に回り、ハモニカ横丁へ足を向ける。操り人形のような歩きだ。途中、30歳くらいの雪女のような易者が小さな机で俯いて店を張っていた。丸椅子にドッカと座り込み、彼女の真ん前に手のひらを出した。
「あ、私、字画姓名判断なんですが」、頷くと、紙と鉛筆が出た。「中洲次郎」と大書すると、「何を占いましょう」と云う。
「今、振られてきたとこなんだ…俺にも…春はいつか来るんだろうか…」
雪が強くなってきた。彼女が傘を貸してくれた。ゴニョゴニョと数字を書いている。頭画がどうとか、胸画がどうとか、足画がどうとか、総画がどうとか、か細い声で囁いてくる。ストレプトマイシンの射ち過ぎか耳の聞こえが悪い。
「24歳でいい人と出会いますね」
「あと二年は、ひとりですか…」
「そうですね、一人です」
「その女性はどこにいますか」
「南の方ですね、東京ではありません」
「結婚、しますか」
「結婚します」
「ふーん、美人ですか」
「美人ですよ」
薄明りの中、夜が遠くで笑っている。
「もう一つ、いいですか。お金は払うから」
「何でしょう」
「俺は世に出たい、出れますか」
雪女はまた複雑に数字を絡め合わせている。そして私の生年月日を睨んでいる。
やおら、結論が出たのか、
「残念ですが、世には出ません。でも、十分幸せな人生でしょう。ただし、東京を棄ててください。あなたに東京は鬼門です。東京に居ては幸せは掴めないでしょう。」
多めに見料を払い、雪の中を横丁に向かおうとすると、雪女が急に微笑んで、
「あなた、努力次第では、晩年はいいかもしれません…よ」
と囁いた。
「俺に晩年はない」、そう云い放って背を向けた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)