コピーライターの先輩たちの多くは、この仕事が本意ではなく、万やむを得ず従事していた。
多くは新聞社、出版社に落ちた者たち、テレビ局でドラマを作りたくて挫折した者たち、また多くは映画会社の倒産で流れて来た者たち、で占められていた。ゆえにどこかニヒルで、競馬、競輪、麻雀、チンチロリンに憂き身をやつしていた。
コピー室の先輩たちの素性が徐々に分かってきた。いつも背広に腕を通さず肩にかけて歩いている先輩は同人誌に所属しており、芥川賞を狙っている。Gパン上下の先輩は詩を書いており、H氏賞を狙っている。植草甚一風の派手な出立で来る先輩はJAZZのトリオを組んでおり、ゆくゆくプロを目指している。長身でハーフっぽい顔立ちの先輩は戯曲を書いており、アマチュア劇団の演出も手掛けている。映画会社から流れて来た先輩は未だに脚本を書き、シナリオコンクールに応募している。誰も新人たちに簡単に声を掛けてくる人はいない。皆ギャンブラーで、どこか寡黙、根無し草、流れ者のムードを漂わせている。
我々新人は途中喫茶店に行くことは憚られる。かといって、雑誌や週刊誌を読むことも憚られる。仕事はいっさい無い。何の指示命令もない。ただ椅子に座っているだけだ。学生時代、徹マンや夜更かしの怠惰な生活をしていたから昼夜逆転症で、昼食後は眠くて仕方がない。生欠伸をかみ殺す苦痛、しかも時間はいっこうに過ぎて行かない。瞼が重く垂れさがる。
コピー課長に、「何か、仕事はありませんか」と問えば、「まだ、早い。先輩たちの仕事ぶりを見ておきなさい」と云われる。見ておけと云われても、昼間、その先輩たちは全員席にいないのである。仕事のない苦痛は「行」である。苦しい修行である。
「あ、それから、君たちに言っておくが、うちの会社は肩書では呼びません。課長は不要、名前の下は〇〇さんでいい。室長にも不要です」
「え、では社長は?」
「当然、社長も、専務も、とにかくすべて『さん』だけでいい。うちの決まりです」
うーむ、やはりアメリカで生まれたビジネスだ。すべて「Mr(ミスター)主義」なんだろう。なんてリベラルなんだ、少しこの会社が好きになった。
「中洲さん、そんなに眠いですか」と遠くの室長から声がかかった。狼狽し、あわてて 「いえ、眠くはありません。あのー『さん』付けはやめて頂いて、呼び捨てか、『くん』でお願いします」
「いや今、鎌倉さんが伝えたように、うちの会社は、位の上下とか、目下とか、新人とかいう考えはありません。若手にも『さん』付けです。すべて『さん』付けです。慣れていってください」
「はい、室長!」と答えてしまった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)