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長谷川法世のはかた宣言14・町人と自治

長谷川法世のはかた宣言14・町人と自治


博多山笠は自治の根源であるといわれます。地方自治といえば構成員は有権者、山笠ではとうぜん山笠の参加者が構成員です。いまは博多の人口減で、よそからの参加者もたくさんいますが、祭りはもともと地域の人のもので、村祭りが村民のお祭りであるように、博多山笠は博多町人のお祭りでした。

さて、江戸時代の町人です。
広義には町に住めばみんな町人ですが、本来は家持(いえもち。地主でもあります)のことを町人といったそうなんです。借地人・借家人や長屋の店子(たなこ)である一心太助や、熊さん八つぁんも、江戸っ子ではあっても町人ではなかったんですね、本来的にはですが。

当時、借地人・借家人・長屋の店子などは店賃(たなちん)は払うけれど、税金は払いません。自治構成員ではないんですね。賃貸入居で住民税や町費を納めている現代の有権者とはそこがちがいます。町人は道路や橋の維持・補修も任されていました。自治ですね。

享保の頃には、江戸は大商人が土地家屋を買占め、家持町人のまったく住まない町まで出現しました。高層ビルが町全体を占める現代都市と同じです。

家持のいない町内を取りまとめるのは大家さんの仕事になりました。落語で八つぁん熊さんのめんどうをみる大家さんです。横丁のご隠居さんなどが勤めました。大家さんは家守(やもり)というのが正式名で、本来オーナーではなく、家持から給金を貰う不動産管理業だったんですね。江戸の肥大化とともに町役にもなりました。

家持は一般町人と違い、町役人となる資格があります。町役は名主・月行司・町年寄・町代など都市によって名称がちがいます。

博多などの地方都市は奉公人を除いてはほとんどが家持町人でした。博多では町総代・年寄・月行司・年行司という組織があり、複数の年行事が町奉行との交渉役でした。

山笠は舁き手の不足を郡部の農村に頼みました。農村は農繁期に人手を出すのは大変だと郡奉行に訴えます。反対に博多は町奉行をつうじて、農家から人手を出すよう郡奉行にお願いします。同時に博多内だけで山笠が出来るように考えようと申し合わせもしています。自治ですねえ。

藩は山笠をりっぱにするため、博多の税金から一定額を山笠にまわします。助成金です。諸国から人が集まれば博多の商売が繁昌し、藩の収入増につながるからです。昔から祭りの経済波及効果はわかっていたんですね。

いまは住民税と町費を払えば市民町民ですが、お祭りなどの催しごとには、別に積み立てが必要だし、博多山笠では赤手拭・取締・総代・総務などの役が、町内あるいは他町・他流との申し合わせのために何度も何度も寄り合いを重ねます。博多町人の自治が脈々と受け継がれているんですねえ。

■参考資料
「筑前国続風土記」「石城誌」「博多津要録」
「日本歴史大事典」(小学館)など。

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