「人間臨終図鑑」*は、山田風太郎さんの奇書、古今東西の著名人およそ900人の死にざまを、年齢ごとに並べています。およそ900の臨終の様子と人生が簡潔に紹介されているのです。
もちろん、我らが川上音二郎さんも、満47歳の項に、9人のうちの一人として登場。
ネルソン提督・新島襄・大正天皇・アラビアのロレンス・夢野久作・コルベ神父・カミュ、そして「新劇の父」といわれる小山内薫さんが、47歳臨終仲間なんですね。
大正13年に築地小劇場をつくって演劇新時代を高らかに宣言した小山内さんの臨終の様子は、昭和3年12月25日「『晩春騒夜』上演記念会の招待宴で、突如また倒れ 、*急死した。長年にわたる演劇運動の過労の結果と見られた」というものでした。音さんあってこその小山内さんの活動だったのですが、同い年で亡くなるとは何か心に響くものがあります。
臨終図鑑は、音さんについては「最後までオッペケペーの壮士芝居臭から脱却することが出来ず」と否定的です。壮士芝居臭こそ、音さんを私が支持するところなんですけど。
日本の近代演劇は壮士芝居から始まりました。政治演説を禁止された民権壮士は、国を語るために演劇を選択しました。歌舞伎以外の日本演劇誕生です。
すると、素人でも演劇ができることを知った伊井蓉峰さんや喜多村緑郎さんなど芝居好きの人たちが続々と参入しました。この人たちは音さんの政治臭を嫌い、「純粋芸術」としての演劇をめざしました。歌舞伎以外の演劇はみんな「新派」と呼ばれました。
そのあとに登場した小山内さんは、役者本位の歌舞伎や新派を否定し、脚本・演出本位の演劇を宣言します。のちには俳優がすべてみたいに転換しますが、そこでは観客の好みなどは考慮されません。芸術のための演目を選択するのです。こうした演劇が「新劇」とよばれます。その後、新劇の多くは政治化し、弾圧され続けます。
明治という新時代の方針は、五箇条の誓文につきますが、川上一座の演目である「板垣君遭難実記」「世界一周」「楠正成」などをみると、五箇条精神を地でいっているようです。誓文をそこなう有司専制を批判したのが民権運動ですから、当然といえば当然です。
音さんは自由平等・権利義務を自覚した「国民」として演劇をおこなっていました。国民ですから政治意識があって当然です。哲学者サルトルが人間の義務として政治参加を試みるのは第二次大戦後ですが、もっと前に、素朴ながら国民の旗をかかげてひた走ったのが音さんだったのです。
*山田風太郎「人間臨終図鑑」(全4巻)徳間文庫
*また倒れ…大正九年の同じ12月25日、松竹映画「路上の霊魂」を監督中に倒れている。
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