1年以上まえのことと思いねえ。天神のビルでパーティーがあったと思いねえ。エレベーターを下りたら大きな窓があったと思いねえ。その日はよく晴れて、北の方角がよく見えたと思いねえ。そうして海の中道が見えて、その向こうに相島※1が見えたんだってば、ほんとなんだってばにい。
晴れた日に天神から相島が見えた。とてもハッピーな気分になった。相島はCNNで世界に発信された猫の島だ。それにくわえてつい最近、「朝鮮通信使※2」がユネスコ世界記憶遺産に登録※3された。相島は福岡藩が朝鮮通信使を接待した記憶すべき島だったのだ。
「通信」とは「信を通わせる」という意味。朝鮮通信使は室町時代にはじまった親善使節団だ。日本にやってきて国書※4をとりかわす。江戸時代には、1607年の第1回から最後の1811年まで200年間に12回の通信使が来日した。最後の12回目は対馬止まりだったが、ほかの1回から11回まではすべて相島に※5立ち寄っている。
通信使11回分の平均人数は475.6人。これに対馬藩主ほか藩士の数百人が案内人として同行する。これを相島で接待するのは福岡藩の役目だった。毎回「新築した館舎は千間に近く、帳御(帷帳と服御)諸物がすべて華美である」(A)という。宿泊地の接待役で10万石以上の大名は「自分馳走※6」といい、その藩が接待費用をまかなわなければならかった(B)。
通信使が相島に逗留した最長日数は、1764年の24日間だそうだ(C)。通信使一行につかわれる生鶏は1日に300羽あまり、鶏卵は2000個あまり(A)だったという。24日の逗留では7200羽をつかうのだ。くわえて接待役の福岡藩士たちも毎日食べるわけだから、1日の食料は膨大きわまりない。魚も生け簀に用意したというが、逗留が長引いたときはどうしたのだろう。漁師たちが死に物狂いで荒れる海を乗り越える姿が目に浮かぶようだ。
通信使は相島のあと瀬戸内海にはいり、大坂からは川船で京へ着く。京から江戸までは陸路だ。行列のもようは、2007年に通信使400年の記念行事として再現され、博多でも川端商店街などで披露されたから、御覧になった方も多いだろう。
さて、晴れた日に天神から相島が見えるのだけれども、それは、晴れた日に相島から天神が見えることでもある。では、福岡城はどうだろうか、必見の次号へ!
※1)相島…福岡県糟屋郡新宮町大字相島
※2)朝鮮通信使…李氏朝鮮側では「日本通信使」といった。
※3)ユネスコ世界記憶遺産に登録…日本時間2017年10月31日午前2時ごろ発表
※4)国書…日韓間の国書に関しては、たくさんの改変偽造がミステリアスに行われた。「日のぼる処の天子、日没する処の天子へ書を致す」の遣隋使以来の日中間の国書についても同様のどうよ?といいたくなるようなエピソードが多い。もっと勉強して考えてみたい。国際関係の難しさは古今東西ちっとも変わらないようだ
※5)すべて相島に…復路は関門海峡から壱岐へ直接戻ったこともあったような(どの史料だったか、ちゃっちゃくちゃらで…)。
※6)自分馳走…幕府が費用を持つときは、公儀馳走
A…申維翰『海游録 朝鮮通信使の日本紀行』姜在彦訳注。東洋文庫69頁
B…中尾宏『朝鮮通信使—江戸日本の誠信外交』岩波新書118頁
C…『FUKUOKA STYLE 3』福博総合印刷48頁
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