1998年の長野冬季五輪で競技会場となった白馬ジャンプ台は、競技のない日にはスタート地点まで見学できます。で、実際に立ってみた。もう、わが金色のボールがキューンと縮み上がる高さと傾斜です。ここを選手は時速90㌔で滑り降り、そして飛ぶ。いや、飛ぶというより落下していきます。
ジャンプ競技の起源は、いにしえの北欧で行われていた罪人の処刑法なんて説もあるほど。これは俗説のようですが、リアルに命がかかった競技であることに間違いはありません。
その長野五輪でコースを巡る"紛争"が起きたのがダウンヒル(滑降)。組織委が設定した標高1680㍍のスタート地点が、競技者側の猛抗議で1765㍍に引き上げられました。抗議の理由は「スピードが出ないから」。ガッチガチに凍ったアイスバーンを時速100㌔でぶっ飛びながら滑り降りる、これまた命を賭したレースです。
そんなこんなでジャンプの選手はダウンヒルの選手を、かたやダウンヒルの選手はジャンプの選手を、「頭のおかしいやつら」と揶揄(やゆ)するそうです。でも、九州で生まれ育った私から見ると、どちらも…。
さて、長野五輪の取材を命じられた私は、その1年前に北海道・釧路へと向かいました。なにしろ一度も冬の競技を生で見たことがない。そこで「予習したい」と上司に願うと、西日本新聞史上初となる冬季国体の取材を設定されたのです。
ただね、五輪と国体では競技方法も少々違うんですよ。例えばスピードスケート。五輪は1レースに2人が出てタイムを競いますが、国体は大人数で順位を争います。ちっとも予習にならないとは、上司も私も知りませんでした。だって共に九州人。ちなみに釧路の現地紙に「九州から記者が来た!」と取り上げられました。
五輪本番では、その上司が「寒かろう」と防寒着を準備してくれました。これが修学旅行のレンタル用のようなつなぎのスキーウエアで、しかも真っ黄色。そんなの着た記者なんて、どこにも居ませんって。
これほどトンチンカンだからこそ、冬の競技に狂気すら感じつつ、強く惹かれもします。一見チャラそうな選手たちが、ものすごい斜度とカチンコチンに固めた雪の上で空中回転するスノボ・ハーフパイプ。しばしばひっくり返るボブスレー。ようやるわ、まったく。
そんなアスリートたちへの敬意を込めて「奇人・変人たちの命がけの祭典」と呼びたい。ミラノ・コルティナ冬季五輪、日本時間2月6日に競技スタートです。
福岡での長野五輪聖火リレーで走者を
務めるホークスの井口=1998年1月
文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。2023年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。