
博多の資料も読むけれど、ほかの分野も読みたくなる。藤原道長(ふじわらのみちなが)※1の日記『御堂関白記(みどうかんぱく)』(上中下)の全訳本も、そういうことで読んだ。一般教養として読む本は布団に入ってから読むことにしているので、軽い文庫本※2に限っている。
今年、皇室で譲位があって、新天皇陛下の一代一度の大嘗会(だいじょうえ)※3のことなど話題になるので、関白記ならばそのあたりも書いてあるだろうと思って読みはじめた。実は、博多山笠の形の起源は、京都の祇園会の山にあり、それは大嘗会の「標山」に由来するというので、そこも大いに興味があった。
「標山」は「しるやま・しるしのやま・ひょうのやま」といくつも読みかたのある不思議な名称で、大嘗会のとき、悠紀(ゆき)・主基(すき)※4両国の役人が立ち並ぶ位置を示す目印だそうだ。画像をまだ見つけられない。図書館に行けばすぐわかるかなあ。仕事場から動かなくていい勉強をやっているので、基本的に電子辞書とインターネットと文庫本が頼りの歴史散歩だ。
今年11月の大嘗祭のための、悠紀斎田(ゆきさいでん)は秋田、主基斎田(すきさいでん)は京都にきまった。昭和3年、昭和天皇ご即位のときの主基斎田は福岡県で、早良区脇山が選ばれた。その時のお田植え舞は、いまも小学生たちが継承している。
関白記には悠紀殿・主基殿は書かれているが、肝心の標山の記述はなかった。朝廷のトップとして、祭祀にどう関わったかが日記の目的だから、道長自身が関わらない場面はわずかな伝聞のメモしかない。それでも3冊の文庫を読み通してしまったのは、年中つづく祭祀と饗宴の簡単な式次第と、参加者名の羅列の裏に、自分に従う者の確認や、はっきりではないけれど敵対する者への策謀が見え隠れするからだ。読書中はスリルとサスペンスの数か月だった。
同時代の藤原行成(ふじわらのゆきなり)※5の日記『権記(ごんき)』(上中下)も、合わせて読めば平安時代のスリルとサスペンスの裏面がわかるかと思って買ってみた。関白記は長和(ちょうわ)3年がすっぽり抜けている。さあ、権記の出番とおもったら、同じ年がすっぽり抜けている。ね、サスペンスでしょ。行成は道長の死んだ日に、道でばったり倒れて死んだとか。ね、サスペンス!
ならばやっぱり平安史上超有名な藤原実資(ふじわらのさねすけ)※6の日記『小右記(しょうゆうき)』かなあ。だけど、小右記の現代語訳は単行本サイズで12巻。単行本は寝て読みにくいもんなあ。一巻3000円くらいするしなあ。博多から離れるしなあ。
※1)藤原道長…966~1027平安中期の公卿。内覧・摂政・太政大臣。娘三人をつぎつぎと中宮として「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ。御堂関白記は23年間にわたる。関白にはなっていない。
※2)軽い文庫本…おくの細道(角川書店編。ビギナーズクラシックス)は140gだが、関白記(中)は235g。後出の権記(中)は255g。寝て読むと手が貧血でがちがちになる。
※3)大嘗会…天皇が即位後、初めてその年にできた穀物を神々に供える祭事。天皇一代に一度だけ行われる盛儀。大嘗祭とも。
※4)悠紀・主基…大嘗祭の神事に用いる米などを作り、献上する斎田。また、その斎田のある国郡。主基は副次の意味とも。
※5)藤原行成…972~1027。書家・歌人。権大納言(権記の由来)。その書跡を権跡とよび、書流は世尊寺流。
※6)藤原実資…957~1046。三条天皇の信任が厚く右大臣となる。道長に迎合せず賢右府と称された。有職故実に詳しい。小右記は当時を知る基本史料。