ディオゲネスは杖をついて歩いた
自宅から1.5キロ離れた場所に図書館がある。最初は散歩のついでに図書館へ行っていたが、いまは図書館へ通うために散歩をしている。「卵が先か、鶏が先か」の命題ではないが「何となく哲学的じゃね?」と自問自答していたら、図書館に『歩行する哲学』(ロジェ=ポル・ドロワ著、ポプラ社)なる新刊本があった。
多くの哲学者は、机に向かうのではなく歩いている。「歩く」という動きの中に人間の思考の「隠された型がある」とフランスの哲学者でもある著者は本の中で述べている。古今東西の哲学者27人について「歩く」という観点から、その思想について取り上げている。
おなじみのプラトンやニーチェ、睡眠薬を飲まなくても著書を読めば瞬く間に睡魔に襲われるヴィトゲンシュタインらあらゆる哲学者を取り上げているが、私は「ディオゲネスは杖をついて歩いた」という章が気に入った。「ありとあらゆるものを持たない」という自らの思想を体現するために酒樽に住んでいたという変人の極みのような古代ギリシャの哲学者だ。
私も年々、物忘れが激しくなり“認知症なのではないか”と心配になる。身だしなみに気を使わず、掃除や片付けをしなくなることを精神医学界の用語で「ディオゲネス症候群」というそうで、私のキャラに近いディオゲネスにさらに親しみを感じた。一方で「ディオゲネスは策略もなく、偽善もなく、社会が押し付ける有害な慣習もなしで、『自然に従って』生きたいと願っていた」そうだ。
質素な生活を送っていたディオゲネスだが、歩くための杖だけは生涯手放さなかった。腕の適切な延長で、気が利いた助手で、邪魔にならない支えにしていたと杖について著者は説明している。というわけで「ゴミ拾い散歩」をしない日はウォーキングポールを持って歩いている。
杖代わりなので一本でもいいが、両手に持って歩くとすこぶる調子がいい。いくら歩いても足に妙なハリがなくなった。室内に入ると短くするなど手間がかかるが最近のスポーツ用品は軽量、コンパクトなのでいつも持っている。山登りが趣味の友人もトレッキングに使っているそうで現代の杖は便利になっていることも知った。時折、ウォーキングポールを持ちシャキシャキとスポーツのような早歩きをしたくなる。だが、私は違う! ギリシャの哲学者を見習い、杖をついてもあくまで「きまぐれ散歩」という思索に徹している。
文・写真岡ちゃん
ぐらんざ世代の代弁者としてnoteなどで発信。
代筆屋業も開業しスピーチ原稿などの執筆や情報誌編集長としても奮闘中。