「天津」
大分県佐伯市大手町3-2-15
午前11時半~午後2時(売り切れ終了)。水曜日定休(金曜日も休む場合あり)
ラーメン500円
茶褐色のスープにすりゴマがかかる。しょうゆ味が強い、こってりの豚骨でニンニクが強めの味わい。ご当地ラーメンの一つとして知られる「佐伯ラーメン」にはそんなイメージを持っている。ただ、佐伯に限ったことではないが、実際に現地に赴くと、ひとくくりにはできない多様性がある。
「うちは佐伯ラーメンとは違うわ」。そう話すのは古参の一つ「天津」(大分県佐伯市)の吉良小夜子さん(79)だ。昼時を過ぎていたにもかかわらず、店内は満席。そんな中、吉良さんは注文受けから調理、会計までを一人でこなす。「お待ちどおさま~」「お金はそこに置いちょって~」。僕はタイミングを見計らって言う。「ラーメンください」。
店の前に立つ吉良さん。創業から半世紀を越えた
配膳された一杯にはノリ、チャーシューが載る。ゴマはかかっていないが、ワイルドそうな見た目はいかにも佐伯。ただ、ニンニクを感じつつ、思ったほどの濃さはなかった。麺も佐伯らしくない。中太麺が主流の地域にあって、ここは細麺を使う。「うちはどっちかといえば、あっさり系やわ。スープに合うからずっと細麺を使っちょるんよ」。
その言葉に大分出身と思ったが、大阪の生まれだという。「普段は大分弁、怒ったときは河内弁よ」。吉良さんは20代前半まで大阪に住んでいた。そこで夫となる勲さんと出会った。サラリーマンをしていた勲さんは、父親が亡くなったのを機に古里である佐伯市に帰郷。吉良さんもついて行った。
「でも仕事がない。夫の姉が宮崎で中華料理屋をやっていたので習いに行ったんよ」。修行先は宮崎県日向市で今も営業する「青島」で、もともとは久留米のラーメンを習ったらしい。ちなみに、当時佐伯で随一の人気を誇っていたのは「上海」という名の店だった。昭和45年に2人で独立した際に屋号を「天津」に決めた。中国の都市名を意識したのかと思ったが「天に通じる港という意味にあやかった」そうだ。
出前をやりながら、営業を続け、上海(現在は閉店)、香蘭(同)、藤原来々軒などとともに佐伯を代表する店になった。ただ、佐伯ラーメンとくくられるようになったのは、最近のことだ。10年ほど前、地元グループがPRを始め、中央にも知られるようになった。以来、県外客も増えたが、天津の客の8割は顔見知りだという。
勲さんは亡くなり、今は一人。「本当はやめたい。でもお客さんから『開いちょるか~』って電話が鳴るし、『週一でもいいから開けてくれ』っち言われるから」。とはいえ、吉良さんの体力の問題もある。後継者も現時点ではいない。「幻のラーメンになるかもね」とあっけらかんと言う。
店内は、そうはなってほしくないオーラであふれている。提供が遅くなっても、みんな穏やかに待つ。食べた後は丼をカウンターの上に置き、台拭きでテーブルを拭く。「見るに見かねてやろ」と吉良さんは言うが、少しでも負担を減らしてあげたいとの気持ちからだろう。
その光景に、これこそがご当地ラーメンの姿だと思う。PRだけのためではない、ご当地(で愛される)ラーメン。完食した僕も丼を上げて、テーブルを拭いて店を出た。
文・写真小川祥平
1977年生まれ。くらし文化部 次長。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。ツイッターは@figment2K