「テルテルラーメン」
佐賀市大財1-5-1
午前11時半~午後2時、午後6時~同9時 水、日祝定休
ラーメン600円
「スープだけですすってみてください」。取材の途中、テルテルラーメンの店主、石橋泰幾さん(71)はそう言って丼を準備した。元だれや調味料を入れ、羽釜からスープを注ぐ。「5番だしまでが混ざっています」。れんげで一口すすった。麺も具もないからスープに集中できる。まろやかな舌触り。味わいはあっさりで派手さはない。ただ芯はしっかり。じんわりながら立体感、コクがあった。
厨房に立つ石橋さん。
妻の富代さん、義娘の静沙さんと
豚骨のみを使う。前日の朝から炊き始め、1番だしが取れたのは深夜2時。それからひたすらスープと向かい合って2番から5番だしまで。僕がいただいたのは夕方だった。
佐賀市随一の歓楽街、愛敬町にある店はもともと大衆食堂から始まっている。昭和30年代に石橋さんの母、栄子さんが「かわばた食堂」を創業。うどんやおでん、定食などを提供し、お酒も飲めたという。ただ、時代は高度成長期の只中。飲食をめぐる状況も変化した。「飲食店が増え、スナックもできた。食堂が徐々にすたれました」。そこで考えたのがラーメン専門店への転換だった。
味のルーツは佐賀市にあった「来幸軒」(昭和34年創業、現在は閉業)。栄子さんが知り合いだった縁で、店主から直接教わった。昭和51年、看板をテルテルラーメンに掛け替える。夜のみの営業とし、お酒の提供は止めた。締めの一杯の店としてスタートを切った。
「私がここで働きだしたのは29歳、ラーメン屋になって3年後のことです」。サラリーマンをしていた大阪から佐賀に戻った石橋さんを待っていたのはスープの奥深さだった。
最初の5年は悩み抜いた。来幸軒のお師匠さんに極意を聞いたり、母親に質問をぶつけたり。ただ同じレシピでも同じ味にはならない。湿度、気温によって変わる。豚骨自体もそれぞれ品質が違う。「辞書になるくらいやったですよ」と笑う。
経験を積んだ今も、その辞書に「完璧」という言葉はない。「失敗の歴史です。失敗を通じて培った勘どころがすべて。経験の中でしか生み出されない。僕らの世界は」。
客とは呑気なものだ。そんな思いも知らずにここのラーメンを啜った思い出がある。佐賀で勤務していた十数年前、愛敬町でよく飲んだ。決まって最後は麺になる。一番星、幸陽軒、成竜軒などの店がひしめく中、ここも選択肢の一つだった。
取材の最後に久しぶりの一杯を頂く。やはり完成品はいい。麺が入ることで尖っていた塩味もまろやかになった。佐賀らしい麺との絡みも良かった。
「私の最終章ですよ」と石橋さんは言う。もともと70歳を機に店を閉める予定だった。ところがその直前にコロナが流行り、休業に。そのままのれんを下ろすこともできたが「常連さんに何も言わんで閉めた。それが申し訳なくて」。2年半の休業をへて再開した。体力も考え、閉店時間を早めて昼営業を始めた。確かに締めだけにするにはもったいない一杯だ。
いつまで続けられるか分からない。「完璧はないけど、いい味を引き出したいね」。引き出す。とてもいい言葉だと思った。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版担当デスク。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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