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ハットをかざして 第190話 アンカーの約束

ハットをかざして 第190話 アンカーの約束


 もう50年ほど前になるか、東京本社から出張で来た大先輩のH氏に福岡市中洲の「アンカー」という軍歌バーに連れていかれた。H氏は会社のクリエイティブ部門の総帥だった。

 入ると「トートトトー、トートトトー」と旧海軍のモールス信号(ト連送)が響き渡る。「我今より突撃す」を意味する。まずこの強い音に度肝を抜かれる。右に長いカウンターがあり、真ちゅうの止まり木が付いている。このころ、古い本格的なバーでも、もう止まり木はなく少しうれしくなった。オーナーは安西さんといい、オールバックで眼が鋭く、精悍なお顔立ちをしていた。生まれは八幡(現在の北九州市)で佐世保海兵団にいたとのこと。カウンター内のウイスキー棚の上部に、鶴田浩二さんと写るオーナーの写真が飾られている。カウンターは10人くらいでほぼ満席である。振り向くと反対側の壁に、零式戦闘機や戦艦大和の書き割りがある。陸海軍の衣装も多くそろえており、客は好みの軍服に着替えて、この書き割りの前で記念写真を撮る。多くの紳士たちが心を込めて軍歌を唄っている。

 「中洲君も、何か歌わないか」と勧められる。戦後生まれの団塊は軍歌を知らない。大分県人ゆえに唯一「広瀬中佐」だけは知っており、歌い終わると、H氏から褒められながらも、「中洲君、これは軍歌ではなく、文部省唱歌なんだよ、昔、尋常小学校で唄わせられたんだ」と教えられた。私は軍神広瀬武夫の歌であるから、軍歌だと思い込んでいた。ご年配客が多い。辛く哀しい歌を泣かんばかりに歯噛みして唄う。先に散った同年兵のことを思っているのだろう。曲が変わり、明治大の「白雲なびく」を白髪の紳士が歌いだした。終わると北大の「都ぞ弥生」が飛び出した。法政大の「若きわれらが」が続く。日大の「大学日本」が出る。ついにH氏が立ち上がり、「都の西北」を唄いだした。軍歌バーというか、まるで日本寮歌祭のようだった。客層は医師、歯科医、大学教授、建築土木業、運送業、自衛隊、福岡県警、時には右翼結社も来るとのことで、多士済々である。

 盛り上がっているところで、H氏が胸から一葉のモノクロ写真を取り出した。少しセピアに変色している。中におさげ髪の清楚で可憐な女子学生が写っていた。

 「君に、お願いがあるんだ。朝倉高時代の初恋の人なんだ。なんでもこの中洲でクラブか、スナックのママをしているらしい。写真を預けておくから、もし君が行った店でこの方に出会ったら、ぜひ僕に知らせてほしい」

 「お美しい人ですね」

 「若い時、いろいろあってね。僕が東京へ行ってから、徐々に疎遠になってしまった。何十年たっても、いまだ一日として彼女のことを忘れたことはない」

 「分かりました。お預かりします」

 最後にもう一曲唄えと厳命され「桜井の別れ」を唄った。再びH氏から「それも軍歌ではない、文部省唱歌だ」とやゆされた。

 あれから半世紀、Hさんは彼岸に渡った。私は彼との約束を果たせないままである。今でも時々、♪青葉茂れる櫻井の 里のわたりの夕まぐれを、大先輩を思い出しながら吟じる。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

◎「西日本新聞TNC文化サークル」にて。
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※詳しくは ☎092・721・3200 まで

やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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