「埼陽軒」
熊本市西区二本木2-1-19
午前11時~午後8時ごろ(売り切れ終了) 月曜定休
ラーメン650円
最近、列車で旅すると駅の変わりように驚くことが増えてきた。九州の主要駅は再開発ラッシュだからだ。ビルができて飲食店が充実するのはありがたい。しかし、その一方で正直さみしさもある。周辺にあった裏通りがどんどん減っていく気がして。
JR熊本駅もきれいになり、隣接地には商業施設が完成した。でもぼくは裏通りに足が向いてしまう。目的は駅から南東方向にある「埼陽軒(きようけん)」。今となっては面影はあまりないが、作家村田喜代子さんが小説「ゆうじょこう」で描いた色街「二本木遊郭」があった界隈である。
5分ほど歩くと木造平屋建てが見えてくる。店に入るといかにも昭和なたたずまい。カウンターと小上がりが少しで、店と客との距離は近い。上を見上げる。壁に飾られた色紙の名は、ハナ肇に若山富三郎、若林豪…。渋い。
「昭和40年に父方の叔母が近所で始めたんですよ」。店主の貢慎一郎さん(42)はそう話す。父親の邦雄さんの実家は元々乾物屋をやっていたが、近くにスーパーができたことでラーメン店にくら替えした。味は、邦雄さんの姉が市内の店で習ったという。
「県外からのお客さんでキャリーケースを転がしてこられる方も多いですよ」と貢さん親子
姉の結婚後は邦雄さんの兄にバトンタッチ。その兄が焼肉屋を始めたために邦雄さんがのれんを継ぐことになった。それが昭和49年のこと。近隣はホテルや旅館が密集し、多くの人であふれていた。「良い時代でしたよ。夜中の1、2時くらいまでにぎわってました」と貢さんの母ミヨノさんは思い出す。ちなみに邦雄さんの兄は神奈川県警に勤めた経験があった。「屋号は横浜の老舗『崎陽軒』からとったと思いますよ」(ミヨノさん)。
この土地で生まれ、この土地で育った邦雄さんは地元を愛した。商売より、祭りや寄り合い、飲みごとの方を大切にしていたそうだ。「親父は人間性で人を呼んでいた気がします」と貢さんは言う。その言葉にうそはないのだろうが、ラーメンももちろん素晴らしい。
派手さはなく、郷愁あふれる見た目。淡いけれどうま味のある豚骨スープ。熊本ラーメンらしい焦がしニンニクがそのうま味を増幅してくれ、最後はほのかな獣感が余韻として残る。ちょっぴり芯を残した麺もするりと胃の中に収まった。ミヨノさんは「シンプルでしょ。昭和の味そのまんまだから」と言う。貢さんは「飽きない味ですよね」と言葉を継ぐ。ぼくは返した。「本当にそう思います」
実は、ラーメンを食べながら、1年前のことを思い出していた。その日、埼陽軒に行くと邦雄さんが小上がりに座って常連客と話していた。「ここのラーメン好きなんです。今度取材させてください」。帰り際にそう声をかけると笑顔でうなずいてくれた。しかしそれはかなわなかった。邦雄さんは今年3月に逝去したからだ。
貢さんにとっても父親の存在は大きい。「親父目当てで来るお客さんが多かった。今はそう実感しています」。一方で、跡を継いだものとしての矜持もある。「日によっても違うし、ぶれることもある。単純だからこそ難しいけど昔ながらの味を出し続けたいです」
熊本地震以降、この界隈では古い建物の建て替えが加速している。街はどんどん新しくなっていく。でもぼくの足はこれからも裏通りに向かうのだろう。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版担当デスク。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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