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ハットをかざして 第188話 軽井沢研修所

ハットをかざして 第188話 軽井沢研修所


 入社した頃、信濃追分に軽井沢研修所ができた。新入社員だけでなく、入社4、5年生組の主事研修や、入社12、3年組の参事研修、営業、媒体、制作、マーケティングと部門別研修が行われた。

 50年ほど前は、今のJR上野駅から信越本線特急「そよかぜ」に乗り、120分ほどで中軽井沢駅に着く。途中、難所の碓井峠越えがある。有名なアプト式である。レールとレールの真ん中にもう一つ歯車型のラックレールがある。横川駅でアプト式の副機関車を中ほどと後尾に連結させる。互いに歯をかみ合わせて、急勾配の碓井峠をそれはゆっくりゆっくり登るのである。横川駅での機関車の合体に10分ほど要する。その間、旅人たちは「峠の釜めし」を買って食するのである。小さな陶器のお釜に入っており、温かく、上にのったお惣菜が実に薄味の甘口で美味なのである。

 中軽井沢駅で特急を下り、在来線に乗り換えて一駅、信濃追分駅に着く。ホームに降りると、眼前に浅間山がデンと座っている。まるで映画「カルメン故郷に帰る」(木下惠介監督)である。中腹の台地で高峰秀子が踊っていないかと目を凝らす。鄙びた郷愁溢れる追分駅から研修所まで7、8分を歩く。まさに旧軽井沢の風情である。白樺林、カラマツ林、コブシ、春楡、ケヤキと、舗装されてない林間の道は、向こうから堀辰雄が歩いて来そうである。

 研修所は欧風のバルコニーのある山荘で、リビングが広く、多くの仲間たちがのんびりリラックスできた。ダイニングも広く、住み込みのご夫婦の料理が舌にやさしく美味しい。部屋は二人ずつで、各自、出された課題に深夜遅くまで挑んでいた。

 当時は川喜田二郎博士(1920―2009年、文化人類学者)のKJ法を活用し、課題を徹底的に腑分けし、主観客観のないアイデアの抽出を行った。さりながら自らに「仮説」を持っていないと「ただ分類しました」で終わってしまう。仮説の創造こそがクリエイティブである。その方が論理に矛盾がなく、自己撞着もなく、コンセプトへのフローチャートもスムーズだった。

 チャート図は建築設計の黒川紀章氏の作り方を模倣していた。最終日に各自発表して研修は終わるのだが、最終日前日に専務や常務といった幹部が訪れ、皆と交流し、発表の聞き役になるのである。話術もさることながら、明解なプレゼンテーションを行うにはアイデアとチャートの出来栄えがすべてだった。

 発表後、帰京は各自自由で、私は皆と別れ、近くにある「堀辰雄文学記念館」まで足を伸ばした。立派な瓦屋根の棟門があり、門から続くカラマツや楓の並木道が美しい。簡素な家の造り、書院の崇高さ、蔵書の多さに圧倒され、芝生だけの庭のシンプルな造りに心奪われた。時を忘れ、しばらく芝生の庭に親しんでいると、体を心地よい風が包んだ。「風立ちぬ いざ生きめやも」と口誦し、後ろ髪を引かれつつ信濃追分駅に向かった。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

◎「西日本新聞TNC文化サークル」にて
 ①「日本文学映画」研究 受講生募集中
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※詳しくは ☎092・721・3200 まで

やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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