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ハットをかざして 第185話 上海帰りのリル

ハットをかざして 第185話 上海帰りのリル


 父母に恋人を紹介した。父はたいそう気に入り、田舎町の婦人服店に彼女を連れて行きワンピースをオーダーした。これが父のOKだった。

 父が「男なら結納金だけは自分で貯めろ、あとはしてやるから」と云う。

 「どのくらい貯めたらいいんだろう」

 「そうだな、今は50万円くらいかな」

 貯金は皆無、手取り6万円のサラリーでかつかつ食べている。そのことを云うと、父は「なーに、一人口は食べられんでも、二人口は食べられる。昔からそう言うちょる」と私の眼を見た。50万円、今に換算すると約200~250万円であろうか。彼女は「毎日、お弁当を作ってあげるから、まずお昼代は浮くわね」と云う。お昼代だけで一カ月に約1万円は浮かせる。あとは残業代を稼ぐこととした。親しい営業に頼み込み、仕事を指名で入れてもらう。制作部長が「中洲さん、まだ入る? そんなに入れて大丈夫?」と気遣う。深夜2時までは最低頑張り、土日も出勤し、コピーを書きに書きまくった。残業は100時間を超えると心を壊し、体を壊す。100時間なんてやるもんじゃない。疲弊しないのは60時間がいいところかもしれない。ボーナスも入れて、50万円貯めるのに丸1年かかった。

 結婚の正式な申し入れとなる「寿美酒」を終え、いよいよ結納。両親は大荷物を抱え、紋付き袴の着物姿で田舎からやって来た。彼女の家のお座敷にまず朱の対の角樽を置き、めでたい結納品一式を広げ、三方に「小袖料」と書いた結納金の袋と彼女の誕生石を最後に飾った。

 式は西鉄グランドホテルで挙げた。兄貴分の営業が司会を買って出てくれた。緊張しているのか、彼は式の始まる前から飲んでいる。仲人挨拶、祝辞が四名続く、乾杯の音頭、「高砂や」のお謡いが始まる、食事歓談に入る、日舞が二つ出る、クラリネット演奏、コーラス、義兄の嫁の唄とご祝儀は続く。司会の先輩はまだ飲み続けている。あがっている上に酔っているから、呂律(ろれつ)も怪しい、私は彼の後ろに立って、キュー出しをしている。新婦もお色直しで壇上に居ない、皆様は誰もいない壇上に向かって祝辞を述べられている。まことに申し訳ない仕儀となった。司会は蝶ネクタイをだらりとほどいて、マイクを杖にやっと立っている。ヤンヌルカナ(もうおしまい)である。

 最後のご祝儀は、嫁の父上が「上海帰りのリル」の曲にのせて、安来節を踊るとのこと。いでたちがいい。モーニングの上着を取り、靴、靴下を脱ぎ、裸足で、ズボンをたくし上げ、いなせに豆絞りの頬かむりをし、鼻の下にチャップリン髭を黒く描いている。イントロがかかると、正面のドアが開き、どじょう掬いの中腰の姿勢でひょうきんに入場してきた。会場の隅々までどじょうを追いかけ、全テーブルの回りをもらすことなく踊りまわり、最後、中央壇の娘に一瞥(いちべつ)をくれると、ザルを高く三度笠のように掲げ、クルリと背を向けさっそうと退場していった。

 明治男の娘に贈る一世一代のご祝儀だった。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

◎「西日本新聞 TNC文化サークル」にて
 ①4月からの新講座「日本文学映画」研究 受講生募集
 ②4月からの新企画講座「男の映画」研究 受講生募集
 ③エッセイ教室 受講生募集「自分の、父の、母の人生を書いてみましょう」
※詳しくは ☎092・721・3200 まで

やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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