「クモノウエ」
北九州市八幡西区鷹の巣1-19-7
午前11時〜午後3時、午後5時半~午後9時 水曜定休
ラーメン 680円、のり玉ラーメン 930円
ほどよく脂をまとったスープにチャーシュー、海苔と生卵が載る。「うまいよ」と言わんばかりのルックスである。食べると確かにおいしい。滋味深さがありつつ、グイグイと押す攻撃性もある。途中で海苔を溶かし、終盤は大事に取っていた卵黄を崩す。野性的なスープに磯の香りが華開き、甘みとコクが重なり合った。
この一杯を提供するのは北九州市八幡西区の「クモノウエ」。オーナーの岩下輝さん(43)が佐賀市の「いちげん。」で習い、9月にオープンした。佐賀の人気店直伝の味が評判を呼び、連日客が詰めかけている。
厨房に立つ安部田直也さん、岩下輝さん、岩田孝文さん
この日も満席で列ができるほど。万事快調に思えたが、聞けば試行錯誤の最中でもあった。「開店時のスープが良くても、その後狙った濃度をキープできないんです」と岩下さん。「あーでもない、こーでもない」とスープに向かい合う。師匠の内田健市さんには毎日電話で相談している。「難しいですよ。でもだから楽しいし、ハマるんです」。この言葉通り、岩下さんは数々の「難しい」を乗り越えてきた。
元自衛隊員。先輩に連れられて行った「津田屋官兵衛」(小倉南区)の味にはまって「うどん屋をしたい」と思い立った。常連となり、大将の横山和弘さんに修業を幾度も申し込むが「弟子は取ってない」と毎回拒まれた。
何度目のことだろうか。「口では断られたけど、最後に握手をしてくれたんです」。後で尋ねると「おまえの人生を頑張れ」というエールだったらしい。ただ、岩下さんは「一緒にやろう」と受け取り、その勢いで自衛隊を辞めた。当時20代後半で子持ちの身。横山さんも首を縦に振るしかなかった。
「うどんの技術はもちろん、人間として惚れた」という師匠の下で1年修業し、平成20年に八幡西区に「うどん満月」を立ち上げた。「麺づくりもうまくいかない。だからハマっちゃって」。楽しい仕事は結果も付いてくる。満月は支店を出すほど繁盛した。
そんな岩下さんがラーメンの世界へ飛び込んだのは2年前のことだ。「20年来の知り合いの(内田)健市大将が人手不足で困っていたのを知って」と岩下さんは振り返る。毎朝佐賀まで駆けつけ、昼すぎまで手伝う。夜は自分の店の営業のために北九州に戻る。そんな生活を続けているうちに内田さんから声をかけられた。「全部教えるけん、ラーメン屋やってみらんね」
内田さんは佐賀ラーメンの源流につながる「もとむら」(旧・鍋島一休軒)で修業している。今年に入って岩下さんの従業員2人も弟子入りした。
北九州の地で佐賀ラーメンを出すことに不安はなかったという。「佐賀ラーメンを食べるとどこか懐かしいんです」。北九州出身の岩下さんはそう語る。
実際、佐賀と北九州のラーメンには浅からぬ縁がある。白濁豚骨の発祥は、終戦直後に久留米で誕生した屋台「三九」。その創業者と跡継ぎはそれぞれ北九州と佐賀に店を移しているのだ。
佐賀と北九州をつなぐ新たな一杯。今後も試行錯誤を重ね、歴史として語られる日が来るかもしれない。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている