47年前、日本ではまだボウリングブームだった。民放テレビ局は夕刻にボウリング番組を持っていた。とくに女子プロ番組の視聴率が高く、人気を引っ張っていたのは、実力の須田開代子、美人の中山律子、サウスポーのNだった。Nさんは目がまん丸の愛くるしいお顔立ちで、ボウラー界のアイドルだった。
そのNさんが大濠ボウルのイベントに来ることになった。私のガールフレンドがNさんと友達で、当日、紹介してくれると云う。大濠ボウルはNさんのファンで溢れ、レーンの油の加減も丁度いいのか、毎回フックボールがきれいに1―2ピンの間に決まった。あわやオールストライクのパーフェクト・ゲームかと思われたが10フレで曲がりが薄く、1―3ピンのブルックリンに入った。なんと7、10ピンのスネークアイが残った。これはお手上げである。彼女は確実に10ピンを倒し、模範演技は終わった。
紹介を受けて、親不孝通りの居酒屋『晴れたり曇ったり』へ案内した。相当に空腹だったのだろう、彼女はお客さんの食べている品を見ては「あれを、これを、あっちのを」とどこかオッサンのような頼み方をする。もっと驚いたのがお酒を飲むピッチの速いことである。日本酒を一合コップで飲むのだが、三口ほどで干してしまう。九州男児の私としても負けられない、彼女のペースに合わせて飲み干していった。酔いが進んでいくと、キュートな丸い瞳が座り始めた。酩酊して来たのか遠慮が無くなり、ガールフレンドに何やら男の話をゴニョゴニョ大阪弁で言っていた。ガールフレンドは一切飲めない性質で、Nさんと私で軽く一升は空けただろう。ここは持つからと、彼女のおごりとなった。中洲へ行きたいというので、行きつけのスナックへ案内した。「プロボウラーのNさん」と紹介すると、ママやお客さん達の表情が憧れに変わった。壁も天井もソファーも白づくめの店で、インテリアが気に入ったのか、彼女は惜しげもなくドンペリを二本空けた。仕上げに長浜のラーメン屋台群に案内した。
「ここ、なんかマニラみたいやね」
と大阪訛ではしゃぐ、「替え玉」という東京大阪にはない食文化を非常に珍しがった。この日はすべて彼女のおごりで、24歳とは思えぬ気風の良さだった。
ホテルは駅前のステーション・ホテルということで、送っていく事にした。ホテルに着くと、一人で寝るのは寂しいから、二人とも泊って行けという。部屋はツインのシングルユースで広い、また冷蔵庫からビールを取り出して飲み続ける。饒舌になり、今つき合っている年下の歌手にビデオデッキをプレゼントしたとか、ガールフレンドに話している。
女性二人はベッドに寝て、私は固い床でスペアーの毛布を羽織って寝た。二人とも、シャワーも浴びず、化粧も落とさず、服のままで眠りに落ちた。
本性は河内のオッサンのような女性だった。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
◎「西日本新聞 TNC文化サークル」にて
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita