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ハットをかざして 第176話 原田種夫先生

ハットをかざして 第176話 原田種夫先生


 FCCこと福岡コピーライターズクラブという職能団体があった。今もある。理事長は高崎寒八というコピーライターの大先輩で、伊馬春部という戯曲家の弟さんだった。伊馬は今の八幡西区の生まれで、國學院大に入り、折口信夫の弟子となり、太宰治とは無二の親友だった。ラジオの脚本家から、ユーモア小説も数多く手がけ、歌人としても有名だった。

 伊馬春部の弟というだけで、言葉を交わすことに緊張したが、いつも柔和なほほえみで若者を緊張させる人ではなかった。コピーライター35名の集団だったが、そのほとんどは同人雑誌で小説を書いている人や、H賞狙いの詩を書いている人、広告会社というより、企業の広報宣伝部の人が大半だった。

 福岡に来て、市民文芸の小説募集があり、30枚と短いので直ぐに1本応募した。FCCの例会の時、大分県の先輩Iさんが寄ってきた。彼は九州文学に所属していた。私が中津市で先輩は杵築の人だった。同じ大分という事で入会時から目を掛けてもらっていた。

 「市民文芸に応募したんだろう」

 「はい、ほんの短いのを」

 「審査員が原田種夫先生で、君のを褒めていたよ。今度、挨拶しに行こう」

 と、勧められた。

 原田種夫と云えば、名前は知っていたが、まだ何も読んでいなかった。芥川賞に1回、直木賞に3回ノミネートされるほどの実力者だった。あわてて「さすらいの歌」を購入し、読破した。大分県豊後高田出身の歌人江口章子の物語で、彼女は一時北原白秋の妻であり、4年ほど暮らしたようだが、不倫嫉妬の末に破綻している。章子は白秋に未練があったようで、「白秋の雀百首の歌の本 一冊もちて京へかへりぬ」と詠んでいる。以後いろいろの男との出入りがあり、ぼろぼろになって郷里の大分県西国東香々地村に戻っている。同じ大分県人ながら、私は江口のことを知らなかった。最後は狂人となり、命果てた。哀しい女の一生だった。

 Iさんに連れられて、春吉だったか、渡辺通1丁目だったか、先生のお宅にご挨拶に伺った。壁全面に本箱をしつらえた応接間に通された。お土産に大分は国東の銘酒「西の関」を持参した。

 「江口章子を、読みましたもので、これを」

 と差し出すと、莞爾とわらってすぐに栓を開け、ギヤマンのグラスをサイドボードから取り出し、注ぎ分けた。

 「今回の応募作品の中で、君のが特段に優れている。が、内容が市民文芸にはそぐわない。市民文芸は健全でなくてはならない。君のはよこしまで、淫猥である。タイトルも『女(スケ)』はよくない。が、そこがいい。」

 上げたり下げたり訳が分からないが返す言葉もない。

 「このまま書き続けなさいよ。人の心の奥底の襞を書きなさい。書いて書いて、書き続けなさいよ」と励まされた。

 Iさんが帰り道々、細い目をもっと細くして、「よかった、よかった」と自分のことのように喜んでくれた。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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