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ハットをかざして 第171話 東京グッドバイ

ハットをかざして 第171話 東京グッドバイ


 九州は福岡に転勤となった。

 東京への訣別と整理のために、暮らしたアパートを巡ることにした。18歳から20歳までは三鷹市井の頭で暮らした。アパートというより下宿で、プライベートのない襖で仕切られた6畳間だった。隣室の先輩が突然襖を開け、「おい、将棋しよう」と入ってくる。いつ入って来るかしれないから、いつも緊張感をもって暮らしていた。お向かいの家が芸大のバイオリン教授E氏の家で、隣が某旅行会社副社長の家、近所の牟礼に武者小路実篤の娘さんが暮らしており、先生はよく娘さんやお孫さんに会いに井の頭に来ていた。何回かすれ違ったことがある。20歳から23歳は同じ町内の別のアパートで暮らした。横を井の頭の池から始まる神田川が流れていた。幅3mほどのまだ濫觴だった。前進座の裏手で、銭湯でよく河原長一郎さんや、健三さんら座の俳優さんたちに遭遇した。23歳から25歳、三鷹市下連雀のアパートへ引っ越した。6畳一間にキッチンとトイレが付いていた。風呂は近くの銭湯に通った。近所に太宰治の墓がある禅林寺があった。この寺と、太宰がスタコラさっちゃん(山崎富枝)と入水心中した玉川上水あたりが私の散歩コースだった。

 昔、田中英光という作家がいた。田中は昭和24年11月3日に太宰の後を追うために、太宰の墓の前で自決した。遺書に「ぼくは太宰の弟子の田中英光という小説書きです。どこにも行き場がないので死にます。」とあった。36歳だった。田中に興味を持ち彼の作品を読み始めた。「オリムポスの果実」は代表作として有名だが、私は初期の「空吹く風」が最も好きだ、というか、作品よりも彼の生き様が好きだった。酒と女と刃物三昧、パピナールとアドルムとヒロポンの日々、小心翼々の私には出来ない人生を過ごしている。頽廃とデカダンと非業の死が、出来もしない私の憧れだった。

 「空吹く風」を読んだ太宰が「薄汚い小説ではあるが、この荒れ果てた竹藪の中にはかぐや姫がいる」と田中を褒めた。田中ほこの時から「太宰の弟子」を自称した。太宰は「生まれてきて済みません」と書いたが、田中は子供たちに「生んで済みませんでした」と書いた。私が就職した広告会社に田中の長男がいた。英光に目のあたりがそっくりだった。次男は田中光二という。著名なSF作家である。

 荷物を送りだした日、久しぶりに禅林寺を訪ね、太宰の墓にお参りした。その足で、井の頭自然動物園へ行き、心の恋人象の「はな子」にもお別れをした。休日はよくはな子の象舎の前のベンチに座り、時をすごしていた。彼女は私より2歳上か、戦後、インドのネール首相が敗戦国日本の子供たちへの慰めとして、プレゼントされた。

 「九州へ帰ると、もう君には会えないだろう。元気でな、グッドバイ」

 7年暮らした東京を後にした。

(はな子は2013年に66歳で昇天した。)


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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