ハットをかざして 第163話 ハーフシリアス

ハットをかざして 第163話 ハーフシリアス


ハットをかざして 第163話

 広告コピーの限界は、人の世の不幸なことを描けないことである。文学にもとるのは、死や貧困、恨み、哀しみ、憎しみ、病いを描けないことである。人間の根源的悩みを追及できないことが、小説や詩、シナリオや戯曲に広告表現は敵わないのである。

 つねにハッピーで楽天的で、表層的な幸せを描かなくては、クライアントの御意を得られない。そこがコピーライターをやっていてのジレンマであり、もどかしさだった。女性の可愛いウソや、男の他愛ないホラも描きたかったが、それも難しいことだった。

 テレビドラマでは向田邦子や山田太一、市川森一や倉本聰が飛ばしていた。向田の「冬の運動会」(1977)、「阿修羅のごとく」(1979)。山田の「男たちの旅路」(1976)、「岸辺のアルバム」(1977)。市川の「傷だらけの天使」(1974)、「グッドバイ・ママ」(1976)。倉本の「前略おふくろ様」(1975)、 「うちのホンカン」(1975)。いずれも人の生きざまを描いており、見る者に感動とやさしさと勇気を与えてくれた。

 この時期のテレビドラマはこの四天王の力により、映画に優っていたと思う。

 広告コピーで人に生きる勇気や感動を与えられるか、ほぼ否である。そこにCMディレクターの杉山登志は気づき、縊死したのだろう。広告の限界はやはり突き詰めれば、「うちの商品を買ってくれ」であるからだ。就いてしまった以上、この仕事を嘘でも天職と思わなければならない。許される表現はせめてヒューマン、あとユーモア、可笑しみのパロディ、強めのギャグ、駄ジャレまでと腹を決めた。

 重いものは描けない以上、軽いもの、粋、勢い、明るさ、美しさに徹しようと考えた。

 「素晴らしい商品です」と云ったコピーは我田引水すぎて誰の心にも届かない。「言わぬが花」が美学の日本人には、衣から鎧が見え隠れしては逆に嫌われる。鎧を見せないコピーを書きたかった。

 では誰を師とするのか、お手本の人を探し始めた。辿り着いたのは、太田蜀山人(おおたしょくさんじん、四方赤良(よものあから)とも号す)、朱楽管江(あけらかんこう)ら、江戸中期のぞろりとした文人たちだった。

 とくに蜀山人の斜に構えた面白半分が琴線にふれた。まじめ、ストイックが一切ないのである。人の世をはすかいに見つめ、自虐他虐、アイロニーをこめ、その中にちゃんと真実が込められている。

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