入社したころから、一人の先輩を見つめていた。小倉生まれと聞いていたから、勝手に親近感をもって寄って行った。他とちがい、クリエイターにしては、つねに濃紺のスーツとネクタイを着用していた。机の上には「手塚治虫」の漫画集がうず高く積まれている。難しいマーケティング論とか、アメリカン・クリエイティブ論とか、アドバタイジングとか云った書籍は置かれていなかった。
営業職に人気があり、仕事は引く手あまただ。局長は断っているのだが、営業たちは勝手に先輩に頼みに来る。他に暇そうにしている人もいるのに、先輩に頼みに来る。なぜ、Mさんにばかり頼むのかと、可愛がってくれている営業の先輩に聞いてみた。
「うん、仕事は忙しい奴に頼むもんだよ、頭がいつもフル回転しているから、業種が違っても、いい仕事をする。とくにMさんはヒューマンないい仕事をする」
またMさんのところへ、他局の営業が頼みに行っていた。営業は三拝四拝している、ついには営業部長が登場して、やってくれとお願いされている。結果、断り切れずに受けている。
「中洲さん、いま仕事、空いてる?」
とM先輩から声が掛かった。
「1、2社、一緒にやってくれないか、ボクがディレクションするから、いいかい」
若輩の私に一も二もない、先輩と仕事できるだけで幸せである。発想の仕方、コンセプトの作り方、表現の選択定着のさせ方、全体の仕事の進め方をすべて盗みたかった。
「じゃあ、まだ三つ四つ打ち合わせがあるから、十二時くらいからやろう。どこか会議室を押えといて。あと、これが営業からのオリエンシート、読んでおいて」
まだ昼下がりである、十二時というのは深夜の十二時である。それまで何案か物にしようと、シートを読み、商品のスペックを頭に入れ、ターゲットを考えてみることにした。同期からMさんに声を掛けられるとは羨ましいなぁと声が掛かった。局長が遠くでニッコリ頷いている。
深夜十二時、会議室で待機していると、営業がマクドナルドのハンバーガーほか夜食を買ってきた。銀座に日本1号店が開業していた頃である。先輩は私の案を見ながら、「捨てなくていいから、もっと、新しさ、珍しさ、面白さをいれてごらん」と云われた。営業、デザイナーを入れて口角泡を飛ばして喋り合う。こちらも負けてはいられない。営業もクライアント側のニーズを入れてもらおうと必死に喋る。まるで青臭い書生論議である。久々に学生下宿時代の先輩たちとのケンカ腰の議論を思い出した。
明け方、三方向のアイデアが決まった。顔の脂汗を拭いていると、突然、会議室のドアが開き、ボブヘアーの女性が入って来た。先輩の奥様とのことだった。ワイシャツと下着一式、靴下、ハンカチ、すべて渡すと「じゃ、がんばって」と云って、お尻フリフリ帰っていった。
徹夜明けの朝、必ず奥様は下着を届けに現れるとの事だった。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。文
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita