
順次に去ってゆく
株主総会の季節、新しい役員体制がスタートした企業も多いことだろう。この時期、新聞の人事欄を見ながらさまざまの思いが交錯する。
晴れてトップの座に就いた人、逆に一敗地にまみれて外に出された人…。勝者には栄光、敗者には憐憫れんびん。分かりやすく言えば、勝者には周囲が拍手し、敗者には言葉が送られない。それが人事の真髄なのである。それゆえにこそ人事はまた面白い。
しかし、トップに上り詰めた人が圧倒的な実力の持ち主だったかというと、必ずしもそうではない。いや「そうではない」場合が存外多いのである。
サラ―リマン社長の選出が客観的なデータに依るのではなく、人柄や現トップとの相性など抽象的な要素が多々影響するからだ。
それがおかしいと言っているのではない。会社人生における勝者と敗者の二差路は「女神のきまぐれ」とでも言うべき偶然に左右される。だから、むやみに勝ち誇るべきでもないし、卑屈になる必要もない、と言いたいのだ。
それにしても、定年後の流れゆく日々の速さよ、である。古巣から離れて二~三年もすると、幹部の顔ぶれがガラリと変わり、名前も知らない中堅・若手がごろごろしている。
現役当時、天神地下街を歩くと50mごとに知り合いに会ったものだが、いまは500mを往復しても知った顔を見つけられない。それはそうだろう。こっちも歳をとったし、先輩・同僚もみんな老い、そしていなくなったのだから・・・。
同じように、たとえ今日までは社長や会長だった人たちも、そのポストを離れる明日からは社員の脳裏から急速に消えていくはかない存在でしかない。
老いた人々も若い人々も
その中間の人々も
順次に去って行く。
熟した果実が
枝から落ちて行くように。
(ブッダの言葉)
人間のこの定理の前では、会社人生のポストなどどれほどのものだろう。
勝者には賛辞を送ろう。同時に敗者もまた拍手を自分に送ってよい。健康のうちに仕事を全うし、家庭生活を作り上げてきたのだから、それだけでも十分勝者たるにふさわしい。
無常とはこの世の常なる変化。会社も変われば、働く人も変わる、何より自分自身が変わらねばならない。それを素直に受け入れられる人が心の平安を得るのだろう。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト