
人生いろいろ
老後に必要なお金は最低でも○千万円、余裕のある暮らしをしたければ億に近い資金が要る、と雑誌にあった。フーン、そうか、そうかもしれんなぁ。
もうすぐ前期高齢者の仲間入りをする。そこそこの退職金はもらったはずだが、気が付けば、いかほども残っていない。残っているのは75歳までの住宅ローンのみである。夫婦そろって貯蓄の観念も薄い。
ネットの老後資金計画表にデータを恐る恐る入力してみた。結果は…。言わぬが花だろう。横から妻がひと言。「お父さん、“人生いろいろ”っていうじゃない。何とかなるわよ、ハイッ」。
こういうのを世間では“根拠なき楽観”と言うのだが、絶望的な老いのロードマップを突き付けられた後では、居直りの気分にさせてくれるから不思議ではある。励ましの言葉もタイミングが肝要だ。
「安全安心」と言う。だが、カネはいくらあれば「安全安心」か、となると答えはない。1億円でも心配で夜も眠れない人がいる一方、貯金ゼロでも快眠にイビキ付きの人だっている。
会えばやたらカネの話をしたがる知り合いがいる。資産がないのかと思いきや、言葉の端々から相当な蓄財をしていることが聞いて取れる。それでも「カネがない。カネがない」。
こういう人間は、随分と損な人生を送っているのでは、と思ってしまう。幸せそうな雰囲気が少しも感じられないのだ。まず不平不満が多い。出費をとても嫌がる。恥ずかしくてとても着られないような古いデザインの服でも意に介さない。
このタイプは、お金を「収集」することそれ自体が目的になっていて、人生を楽しむ手段という発想ができない。
昭和34年4月30日、永井荷風が自宅でひとりぽっくり逝った。79歳。傍らには現金28万円と二千八百万円の通帳が残されていた。奇行で知られた荷風だが、真骨頂は極め付けの吝嗇りんしょくだったこと。エピソードは山のようにある。
文化勲章の大文豪、名誉とあり余るカネ。しかし、その最期はクモの巣だらけの部屋、裸電球の下の万年床…。名声と現実の暮らしのギャップに世間はびっくり仰天したのだった。
だが、考えてみれば荷風の魅力はその文学性よりも変人性にある。荷風から吝嗇の匂いが消え失せたら何が荷風の荷風たる所以というのか。
ケチはケチで良し。吝嗇の哲学に徹すれば、その生き方は芸術の磁場さえ帯びる。やはり「人生いろいろ」なのである。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト