
名刺の深い輝き
友人Aの住宅販売会社は関連事業としてゴルフ場を経営している。Aの直属上司だったB元常務は、現役の頃からそのゴルフ場の熱心なメンバーだ。定年後もちょくちょく現れるが、評判がよろしくない。
一人でやってきては、主に後輩たちの組に加えてもらう。後輩たちはいい顔はしない。しかし、まあここまでは「ぼくも仲間に入れて」くらいのご愛嬌と思えば我慢も出来る。問題はこの後だ。
「君ィ、プレーが遅いな」「肩が回っとらんぞ」などうるさいこと、このうえない。レストランでも真っ先にビールを勧めねば機嫌が悪い。
この人の発想と振る舞いは現役当時そのままなのだ。退職し、「部下なし」「肩書なし」の裸の人間になったことへの自覚が全く欠けているのだ。滑稽、かつ惨めである。
その名刺を見せてもらってまた仰天した。表が「●●住宅・元常務取締役」。裏には「●●大学法学部45年卒幹事」「県立●●高校41年卒世話人」「私立●●中学同窓会副会長」と学校名が誇らしげに並ぶ。
名刺に目を通しながら無性に悲しくなった。この人は自分が何者かを証明する術は「過去」しかなく、「いま」は何も持ち合わせていないのだ、と。
福岡市南区の「しいのみ学園」は曻地三郎さんが開設、百七歳のいまも元気いっぱいに活躍し全国に知られる。長男有道さんには障がいがあった。それが学園創設に向かわせる。
昭和29年4月、念願の開園。その少し前、17歳の有道さんが曻地さんに「名刺をつくって」とせがんだ。名前だけが書かれた名刺を見せると「肩書も入れて」と言う。驚いて「何という肩書がいるのね」と尋ねると「小使いがいい」。
開園式当日、有道さんは来賓の一人ひとりに「しいのみ学園の小使いです。よろしく」と笑顔で名刺を手渡して回っている。その姿に曻地さんは胸がいっぱいになった、と語っている。(『親心子心・曻地三郎聞書』西日本新聞社)。
定年後も肩書が欲しいのならつくる努力をすればいい。しかし、それが過去の地位や栄光を引きずったようなものでは第二の人生を不幸にするだけだろう。
「小使い」。有道さんのこの肩書に、私は名刺の深い輝きを見るのである。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト