
江戸のケアメン
長い付き合いの後輩A君がやって来て、切り出した。「今回、早期退職することになりましたので…」。
聞けば、愛妻が初期の認知症と診断され、身の回りの世話に専念するという。定年まで3年余。「何も辞めなくても…」と喉まで出掛かったが、呑み込んだ。
退職決断までには眠れぬ夜が続いたに違いない。それを第三者が手垢のついた常套句で引き留めたところで何ほどの意味があるだろう。
A君が続けた。「正直、悩みました。でも、いまは女房のそばにいてやりたいという気持ちになりました」。その決意に心の中で拍手を送りながら「俺だったらさてどうする」と自問したことだった。
息子が親の介護をするのは今どき珍しくなくなったが、早期退職して妻に寄り添う夫はまだ少数だ。
しかし、少子化かつ在宅医療が主流になる時代、病を支え合う夫婦はこれから増加の一途をたどるだろう。
妻の介護は平成ニッポンだけの風景ではない。たとえば、藤沢周平の「たそがれ清兵衛」(新潮文庫)である。
◇ ◇
海坂藩勘定組の井口清兵衛は労咳の妻を抱え、看病と家事に追われる毎日。黄昏とともに家路を急ぐ。その姿に、口さがない同僚は彼を「たそがれ清兵衛」と呼んだ。
しかし、この「たそがれ」、実はただ者ではない。知る人ぞ知る無形流の遣い手。
藩政を牛耳る筆頭家老堀将監を上意討ちにする密謀が進み、討ち手に清兵衛が選ばれる。
ところが、決行の時間になっても姿を現さず、同志たちをやきもきさせる。間一髪で駆けつけた清兵衛は一撃で堀を始末するが、遅参の理由は就寝前の妻を厠に連れて行き、尿の始末に時間が掛かっていたためだった…。
◇ ◇
高齢社会は「介護される人」と「介護する人」が必然的に増える社会である。被介護者と同じように、介護する人もまた、その後の人生が劇的に変転する。
ゴールのない日々をどうやって穏やかでゆっくりとした時間にするか。江戸のケアメン・清兵衛は「まばゆい」存在だが、だからこそ介護を「たそがれ」にしてはならない。A君の背に清兵衛を重ねたのである。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト