父の贈り物
アパートを見たいと、父が上京してきた。東京駅に迎えに行く。寝台車の旅だというのに背広上下を着て、慣れぬネクタイをしている。チャック式の角型のトランクを下げ、自然薯の包みを下げ、もう一つ緑に白抜きの唐草の風呂敷包みを下げている。中で何やら、チチッチチッと鳴いている。
「なーん、これは…」
「インコをつがいで買ってきた。一人暮らしは淋しかろうと思ってな」
私は幼い頃、大腸潰瘍で一年ほど寝ていた。両親は共に店に出ており、私を構う暇はない。父も母も時々現れては、私が息をしているか口元に手をかざして、また店へと走り去っていく。走り去ると、私は淋しさで泣く、店まで響けと大きな声で泣く。また母がガラス戸を開け、どうしたどうしたとあやす。ある日、父はインコのつがいの入った鳥かごを枕元へ置いた。金製の上部の丸い美しいかごだった。父は私の終日の侘しさの気散じを図ったのだ。黄と青の美しいインコで、私は熱にうなされながら彼らの行動を目で追い、おだやかな気持ちを維持していた。クロマイを飲むようになってから、辛いひまし油を飲まされることはなく、幼い体にも春が巡りはじめた。
風呂敷の形から察するにあの時の鳥かごである。吉祥寺駅で降り、井の頭線に乗らず、井の頭恩賜公園の中を歩いてアパートまで案内する。美空に薫風である。池に多くのボートが出ている。池畔では武蔵美の連中がイーゼルを立てて、油絵を描いている。九州の田舎町にはない風景である。
「いい公園だなぁ…春は桜が見事なんだろうなぁ…」と父は独り言ち、なぜか鈴懸の道を口ずさんでいる。合い間合い間をインコがチチッと合いの手を入れる。アパートに着くと、直ぐに大家さんにご挨拶をし、田舎の菓子と自然薯を手渡す。おかみさんは、父が泊まると聞き、お布団は足りますかと問う。父は布団なんぞは要りませんと丁寧に断っている。
部屋に入ると、まず唐草のふろしき包みをほどいた。あの日と同じ黄と青のインコが止まり木とブランコに一羽づつ捕まっていた。水を入れ替え、新しい粟を補充した。高いところがいいと、サイドボードの上にかごを置く。部屋は6畳、流しとトイレはあるが、風呂はない。父が今夜は夕食を作るという。食べに行こうと云うが、駅前のマーケットに買い物に出た。家は飲み屋であり、父は戦前熊本第6師団野砲第6連隊の炊事軍曹である。料理は得意中の得意であった。その夜の献立は、久々にビフテキと野菜炒め、オヤジ流の味噌汁である。父は私にせめて豚肉入りの野菜炒めと味噌汁の作り方を伝授したかったのだ。ナイフも、フォークも持っていなかったので、包丁をやりとりして肉を切って食べた。
翌朝、父はインコの両翼の羽の間を切り、これで手乗りになると云い、「達者でやれ」と云って九州へ帰って行った。寂しくなった私の膝の上に飛べないインコが二羽うずくまっていた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)