もう46年前になるか、学生時代、東京赤坂の日本シナリオ協会のシナリオ学校に通っていた。初回の特別講話が吉田喜重監督で、確か白のムスタングでやってきた記憶がある。東大仏文から松竹大船に同級の石堂淑朗と入社した時の話をしていた。石堂の「一流の下、二流の上」(大和出版)に比べれば、知性と品格は石堂とは真逆の吉田だった。
初めて彼の作品に接したのは、「秋津温泉」(原作藤原審爾)である。戦後の真実味のない男(長門裕之)と、戦前の女の一途さを持った女性(岡田茉莉子)を頽廃とストイックさを織り交ぜて作っていた。岡田の最後の自殺に新しい感覚の演出を感じた。
高校時代、「水で書かれた物語」(原作石坂洋次郎)を観た。当時、石坂は「青い山脈」や「石中先生行状記」など、明るい学園物語しか書けない作家だと思っていたので、「母子相姦」の話に驚いた。クラス中の文学仲間で話題となり、皆で観に行った。背徳の美しい母親に岡田茉莉子、息子に入川保則、母の愛人である町の権力者に山形勲。悪役中心の山形が脱皮した映画でもあった。
大学時代3年の終わり、吉田の代表作「エロス+虐殺」を新宿のアートシアターで観た。大正時代のアナーキストたちと、現在の若者たちの性情を対比させたダブル・シンクロ構成だった。大正初期、巷では「ゴンドラの唄」(作詞吉井勇、作曲中山晋平)が流行っていた。
♪いのち短し 恋せよ乙女、高学歴の女性たちは今でいう不倫に走っていた。鳳晶子は林滝野を押しのけて強引に与謝野寛の嫁になる。
日本最初の女性雑誌「青鞜」を発刊した平塚らいてふは良妻賢母主義に反発し、森田草平と心中未遂を起こしたり、若いツバメ奥村博史と事実婚を果たす。映画はアナーキストの大杉栄(細川俊之)の四角関係を描いている。大杉を中心に本妻堀保子(八木昌子)、資金的愛人神近市子(楠侑子、映画では「正岡逸子」となっている)、そして真の愛人伊藤野枝(岡田茉莉子)、とくに葉山日蔭茶屋事件が作品の山である。
当時の大杉の「自由恋愛三ヵ条」には、①互いに経済的に自立すること②同居することを前提としない③互いの性的自由を保証する、となっている。男に有利な内容である。野枝が大杉に走る原因になったのが、野枝の夫でダダイストの辻潤(高橋悦史)と、野枝の従姉の代千代子(新橋耐子)が不倫するシーンからである。
この映画から4年後、私は千代子の孫娘と所帯を持つことになる。妻の家は野枝を糸島郡今宿から長崎に引き取り、長崎の西山女児高等尋常小学校に通わせている。代家は玄洋社の頭山満を助けるべく東京に出る。一旦、野枝を今宿に返すのだが、再び引き取り、上野高女に通わせる。妻の祖母千代子と野枝は従姉妹になる。ただ辻との不倫の時、千代子は今宿に新婚所帯を構え、妻の母を産んだばかりだった。夫を置いて乳飲み子を抱えて、上京できるわけがない。辻は東京にいた別の従妹と関係しており、千代子は全くの間違いである。
とまれ、当時まだそんな運命が私に待っていようとはつゆ思わなかった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)